八尺対扮装
今年の一月にアップした「泉鏡花『南地心中』現代語訳」のなかに一ヶ所、さっぱりわからない部分があって、それ以来ぼちぼちと、けれどもずっとそのことを考え続けていた。
鏡花の原文は、以下の通り。
▶居たのが立って、入ったのと、奴二人の、同じ八尺対扮装。紫の袖、白襟が、紫の袖、白襟が。◀(二十四節)
「八尺対扮装」とは、いったいなんなのだろう。
どうしても訳せないので、訳文は、
▶寝室のなかで奴が立ち上がり、もう一人が部屋に入ると、奴二人が同じ対の扮装。紫の袖、白襟が、紫の袖、白襟が。◀
――などと、「八尺」を無視した、かなりいいかげんな状態だった。
それをつい先ほど、あ、そういうことかと思いついて、寝られなくなってしまった。
そうか、「八尺」とは「八尺袖」ということか。
通常の八尺であれば242.64cmということになり、2.5m近くもある長い長い袖があるわけがないという話になる。
1994年に羽田空港で開催されたコム・デ・ギャルソンのショーでは、さすがに2.5mとまではいかないものの、1.5mはあるかと思える長さの袖を引きずったメンズジャケットを着たモデルが登場して会場を沸かせたのだけれど、たまたま客席にいた私は、正面の席に貴乃花と別れて間もなかった二十一歳の宮沢りえが、背後の席に座ったママの顔を背後霊のように浮かべてそこにいることに気づいて昂奮していて……いや、そんなことはどうでもいいですね。
あらためて「八尺」とは。
この場合は和裁で使う鯨尺(一尺約38cm)での寸法で、八尺は304cmの長さを表している。だったら2.5mどころじゃなくもっと長いのか、と思うのだけれど、そうではない。「×尺袖」というのは、×尺の総丈の布地を使って、二つに断ってそれぞれを折り返して縫った両袖をこしらえるという意味なので、八尺の布地で仕立てた袖の長さは76cmである。
つまり「八尺対扮装」とは、二人の奴がともに、76cmの長さの袖を垂らした同じ大振り袖を着ている、という意味になる。
「紫の袖、白襟が」と唄うように繰り返すことについては、未だに典拠がわからないのだけれど、江戸よりも前のいにしえの風俗の雰囲気を醸そうとしているのだと思う。
さっそく訳文を書き換えて、ああすっとした。
▶寝室のなかで奴が立ち上がり、もう一人が部屋に入って、同じ八尺袖の大振り袖すがたが並び立つ。紫の袖、白襟のすがたの、なんと古風で品よきことか。◀




