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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~山僧

『山僧』(明治三十一年)


 これも『龍潭譚』や『化鳥』と同じく、少年の一人称語りの作品で、冒頭近くに母親が登場するから母への憧憬の物語なのか、あるいは怪僧が登場するからいつもの不気味な執着の物語なのか。そう思って読みはじめるのだが、そういうわけではない。

 少年が絵師のもとで絵を学ぶ様子がこまごまと綴られていくから、もしかしたら子供なりの芸道開眼を描こうとするのかと思えば、それもまた、おかしな具合に裏切られる。


 少年は、師匠から与えられた牛の画の課題をクリアできずに、捨て鉢な気持ちになっている。

 その様子を見た、顔見知りの、不思議な霊験があるのだという豪放磊落な生臭坊主は、少年を強引に遊廓へと(いざな)って、華やかな楼の最深部にある、牛のように肥った主婦(おかみ)が少女たちを酷使する悪夢のような現場を垣間見させる。

 その夜、なぜか少年はすらすらと牛の画を立派に描きあげる。けれどそれは、師匠にはとても見せられないような画になっていた。……


 反抗期の少年の権威への反発、大人の世界に接した思春期の性の戸惑い、そして芸道における「秘伝」と言われるようなものがまとう神秘性など、ことばを尽くしてもなかなか表現できないようなあれこれが、短い小説の終盤での意表を突く展開によって一気に表出される。


 本作が書かれた同年には、鏡花なりの口語体が完成されたような『辰巳巷談』が先に発表されているのだが、『山僧』ではふたたび古風な文語体に戻っている。それはたんなる趣味の問題ではなくて、ありふれた日常と刺激的な非日常の境界を朦朧とさせて、全体に夢のような印象を与えるための効果として使われているかのように思える。

 物語の語りと内容がこれほど高度に結びついた小説には、なかなか出会えるものではない。


 いつものありがちな鏡花小説か、となかば倦みながら読みはじめた短編が、読み終えたころにはフランス象徴主義の名品でも読んだような気分になっている。なんとも不思議な怪作である。


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