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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~弓取町人、白羽箭

『弓取町人』(明治三十三年)


 旧藩主奥平伯爵家の令嬢竹子姫様の御縁組みが決まり、祝祭ムードに包まれた会津若松の城下。

 鶴ヶ城(会津若松城)のそばにある弓場にも、賑わいに乗じた客が詰めかけていた。勢いだけは盛んなものの、いずれも下手の横好きで、まともに的を射貫く者はいない。そこへふらりとやって来たのは、見慣れぬ書生風の青年。常連たちがひやかしの目で見守るなか、五枚の的を次々と射割った。

 あっけにとられる客たちを尻目に、青年は無言のまま宵闇の通りへと消えていく。途中まで後をつけた者によると、鶴ヶ城内に入ったらしい。

 当時の鶴ヶ城は、幕末の会津戦争で砲撃を受けたままの廃墟になっていた。今時分、あんな危ない場所に何の用があるのか。あの弓の腕前からして、白虎隊の幽霊なのではないか。

 物好きな三人組が正体を見極めようと、城の探索に向かう。ところがその道すがら、奇妙な女が付かず離れず、彼らを追ってくる。大手門の前で戸惑う三人に、いきなり女の影が迫り、

(みんな)お帰り、此処(ここ)は来る(ところ)じゃあない……」

 三人は蜘蛛の子を散らすように逃げだした。


 ――という短編。

 またしても怪奇を匂わせただけの未完の作品なのか……とがっかりしかねないのだが、心配は無用。本作は三年十ヶ月後に発表された中編『白羽箭(はくうぜん)』の序章にあたる部分なのだった。




白羽箭(はくうぜん)』(明治三十六年)


 短編『弓取町人』の続きとなる中編。

 とはいえ、『弓取町人』の内容は本作内でも繰り返して語られるので、事前に前作を読んでおく必要はない。


――――――――あらすじ――――――――

 主人公は詩人の松坂新三郎。『弓取町人』で弓の名手だと騒がれた青年だが、気晴らしで立ち寄った弓場でたまたま会心の結果を出せたにすぎない。彼は旧藩主奥平伯爵から鶴ヶ城に寄せた詩を書くことを依頼され、まずは城を見ておくために会津若松を訪れたのだった。

 新作の詩は伯爵令嬢竹子姫御縁組みの祝宴に合わせて、陸軍将校令嬢の秋山衣子(きぬこ)のヴァイオリン演奏とともに披露されることになっている。新三郎は衣子の恋人であり、竹子姫とも懇意の間柄だった。

 しかし実際に夜の鶴ヶ城を見て、戊辰戦争の砲撃で廃墟になった光景に衝撃を受けた新三郎は、「僕のやうな者が、この城を文字にうつして、ヴァイオリンの音に合せるなどとは思ひも寄らん」と絶望する。

 帰りに立ち寄った茶屋で、そこで働くお房という娘と、会津での逗留先である清瀧楼のおかみさんと出会った新三郎は彼女らから、戦争がもたらした負の側面を聞いた。二人の女は、郷土愛の熱狂のなかで両親を惨殺された孤児であり、お房はいまだに裏切り者の子だとされて周囲からひどい差別を受けていると嘆く。

 そんなお房は、松ぼっくりを耳に当てれば、遠くから母親の声が聞こえるのだという。ふざけ半分で聞いていた新三郎は、お房が初対面の自分の姓名を言いあてるという奇跡を目の当たりにすることで気持ちが昂ぶり、彼女を窮状から救い出すことを誓う。けれどもそんな彼自身は、旧藩主をパトロンにして、軍人の娘と結ばれようとしている。不相応に優越的な立場から、二人にとって憎むべき対象である鶴ヶ城を謳おうとする自分を恥じて、衣子との決別を決意する。

 衣子に別れを告げた摩利支天堂の御堂から、奉納の弓と矢が新三郎のもとに落ちてきた。「一矢(ひとや)遊ばせ」と促すおかみさんのことばに、新三郎は鶴ヶ城の天守に向けて矢を放つ。

 一の矢は衣子が奏でるヴァイオリンの音色に惑わされて反れたが、二の矢はみごとに天守を射貫いた。新三郎の心からは迷いが消え、たちどころに詩想が湧き起こった。

――――――――――――――――――――


 こうしてあらすじだけを書いてみると、図式的な物語の印象が強いのだが、実際の本文は例によって視点の変化と場面転換が著しく、鏡花の筆の運びも乗りに乗って、強引な展開もさほど気にかからない。

 とくに茶屋の娘お房が松ぼっくりを耳に当てて奇跡を起こす場面などは、


▶娘ははなじろみて月の隔てに袖屏風して左の耳、男は別なるを手探りに露の小笠(おがさ)の草枕、右の耳にあてて目を(ねむ)ると、身動きに(えい)が出て、(ぱっ)と全身の血が沸いた。動悸激しく胸を打って、漂う船に乗る(おもい)、稲葉の白く風に動くを、打寄する月の浪かと覚えて、あわれ玉の緒もゆらぐかと、心ゆくばかり恍惚(うっとり)する、耳許に娘の声、松毬(まつぼっくり)の中に響いて、

「新三郎さん、」と(たしか)()の人。◀(十五)


 などと、ものに憑かれたような文章で綴られていて、読む者を陶然とさせる。さらにはこのエピソードが、主人公の逗子海岸での思い出に重ねられることで、鏡花読者は、未来に書かれることになる「逗子もの」の諸作の(こだま)を聞くことになる。

 五年近く前に書かれた『錦帯記(きんたいき)』ではいささか繁縟に思えた細密描写も、分量的に減っているわけではないのだが、あるべき適所に置かれた感があり、ストーリーをしっかりと支える要素になっている。そのストーリーというのはまさに、鏡花の主要なテーマの一つである芸道開眼の物語であって、それ自体が爽快なものだ。

 とはいえ『白羽箭』という小説の魅力はそれのみにとどまらず、見る角度によって輝きが異なる、宝石のカッティングのような多彩な側面にあるように思う。


 まずは、作品の舞台。

 鏡花は、明治三十二年八月に、会津東山温泉滞在中の先輩作家、後藤宙外を訪ねて会津若松を観光した。その翌年にも春陽堂の雑誌「新小説」に「会津めぐり」という記事を書くために、会津を再訪したらしい。

 このときの見聞をもとに、鏡花には珍しい、東北の会津を舞台にした『弓取町人』と『白羽箭』が書かれたのだった。


 また主人公のモデルになったのは、鏡花の知人でもあった詩人の土井(どい)晩翠(ばんすい)である。

 土井晩翠といえば、まず思い出すのが「荒城の月」で、晩翠の詩に滝廉太郎が曲を付けた楽曲は、明治三十四年に中学唱歌に採用されている。そんな、まさに多くの人が知ることになったタイミングで、『白羽箭』は発表されていた。

「荒城の月」の詩で描かれた「荒城」のモデルの一つは鶴ヶ城城址だったといわれていて、(あからさまにフィクションではあるものの)『白羽箭』は最新の国民的ヒット曲の誕生秘話といった、時事的な話題性を取り入れた作品でもあった。


 さらに本作は、鏡花の厭戦的な姿勢が色濃く表れた作品でもある。

 日露戦争(明37-38)へと向かう好戦的な気運の高まりや、弱者を踏みつける国粋主義への嫌悪感がベースにあることがうかがえるのだが、戊辰戦争という過去の歴史にカモフラージュさせることで直接的な批判をぼかしている。

 もっとも鏡花の場合、故郷金沢の封建的な風土に対する忌憚を別の土地に置き換えて避けたという一面もあって、反戦思想という具体的な形を結びきれたわけではないようにも思えるのだけれど。


 そしてもう一つ、忘れてはならないのが――白羽箭という題名が指し示し、篇中で主人公がしばしば高吟することから少なからぬウェイトを占めていると思われる――漢詩が暗示するものについてなのだけれど、これはさっぱり自分の手には負えない。

 ネット上で読める、于達「『白羽箭』から見る泉鏡花の反戦思想 ――漢詩を中心として――」という論文の知識を拝借させていただくと、「白羽箭」とは、唐代の中国で戦闘に使われていた矢であって、詩語としては辺塞詩(へんさいし)という詩のジャンルで多用されているのだという。

 辺塞詩とは、辺境における少数民族との戦いに駆り出された兵士が故郷に思いを寄せるといった詩のジャンルで、鏡花は李白の『北風行』という詩から「白羽箭」ということばを拾った可能性があるらしい。作中で主人公が繰り返し吟じるのは、これとは別の、薛蕙(せっけい)という唐の詩人の「塞下曲」というマイナーな詩で、鏡花は詩中で嘆かれている、故郷で生き残った側の悲嘆を、お房とおかみさんの悲惨な運命に重ねていることで、主人公の心中を暗示しているようだ。


 ――と、こんなふうに、長編にも満たない小説が見せるには過剰すぎるほどの多彩な側面が『白羽箭』にはあって、これは、横の展開(ストーリーの進捗)以上に縦の展開(明示、暗示を問わない語りの重層)を重視する鏡花小説の特徴を典型的に示している。


 いや、表面的なストーリーに限っても、じつは上の「あらすじ」では拾えなかった裏ストーリーが『白羽箭』には含まれている。

 ヒロインのお房を執拗にストーキングして、お房かおかみさんか新三郎かの誰かを殺して自分も死ななければいられないところまで追い詰められる、権太というならず者の物語がそれで、彼にまつわるエピソードに触れつつ簡潔にまとめるのは不可能に思えて、上のあらすじからは除外せざるを得なかった。

 この権太という男は、初期の『妖僧記』に登場し、後年の『日本橋』の赤熊に結実する異常なストーカーの系譜にあるのだが、ストーリー上では異物でしかない彼は、視点の入れ替わりのポイントを作ったり、クライマックスの盛り上がりに貢献したりと、語りの技巧を読み解く上では重要人物の一人だといえる。

 必要とも思えない異様な人物を乱入させて、わざと破綻をこしらえることでストーリーを活性化する、余人には真似の出来ないような技巧に驚かされることもまた、鏡花小説を読む楽しみの一つだろう。


 まだまだ、『弓取町人』で三人組を驚かせた謎の女の正体であった清瀧のおかみさんや、お房、竹子姫、秋山衣子という三人のヒロインたちの魅力――ことに、無垢な信仰心のなかで孤独に生きるお房のはかなげな可憐さや、珍しくもドイツ語の修辞で彩られた、才気煥発なヴァイオリニスト衣子の一途な純情――も含めて、一読、再読では拾いきれないほどの、この時点での鏡花の魅力のありったけが無謀なほどに詰めこまれて、『白羽箭』には高密度に結晶しているかのようだ。



『白羽箭』は全集以外にも、今のところ鏡花の最新のテクストである「新編 泉鏡花集」(岩波書店)の第十巻に収録されている。

「新編」は高価な本でもあるし、ほとんどは全集と重なる内容なのだから、資料的な価値が高い「別巻一・二」だけを持っていればいいか、と思っていた。

 その二冊以外に、『白羽箭』が収録された第十巻だけは、800円という安価で売られていた古本を見つけて、初収録の『黒髪』を目当てに手に入れていたのだけれど、今回、『白羽箭』を全集の旧テクストと読み比べてびっくりした。

 全集での意味不明な部分(おそらく初出時の誤植による)が、最新の校訂ですっかり修正されているではないですか。


 岩塩を「鶴の脚」で突き砕いたなどという意味不明なことば(二十九)は、「新編」ではあっけなく「鶴嘴(つるはし)」に置き換えられているし、大事な最後の一文にある「割然(かつぜん)」という辞書にない熟語(四十一)は、一般的な用字の「豁然(かつぜん)」に修正されている。

 最も顕著だったのは「女王の如く迎へられて、自ら学べりと思ひつゝ、己が姿を水鏡、うつす高嶺の月や忘れし」(三十二)という、もやもやと解らなかった部分が、「月や忘れじ」と修正されていたこと。濁点の欠如ひとつで、忘れられないことが忘れてしまったことになっていたのだった。

 もしかしたら、これまで呻吟しながら読み淀んでいた難解な箇所のいくつかが、(薄々そうではないかと勘ぐることも多かったのだが)底本由来の単純な誤植だった可能性もでてきたわけで、いつの日か「新訂鏡花全集」が出版される日までは、完全解決はお預けになった。


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