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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花ぼっこぼこ

 最近の「鏡花読書」で採り上げた、『錦帯記(きんたいき)』や『湖のほとり』といった、非常に読みにくい、あるいは完成を放棄したような作品に対して、発表当時の読者はどんなふうに受けとめていたのか、気になって検索してみた。

 ちょうどおあつらえ向きに、越野格「泉鏡花文学批評史考(1) : 鏡花文学における読者の問題」という、各時期の鏡花作品に対する批評をまとめた、一般読者にとってもありがたい論文があったので読ませていただいたのだが、思っていた以上の酷評が並んでいる。

 該当する時期のいくつかの批評を孫引きさせていただくとして……いや、これはあまりにも酷い。(適宜ルビ加筆)


『綿帯記』評

▶彼は措辞(そじ)を幻奇にして、総ての人物を濛々(もうもう)たる濃霧の(うち)に出没せしめぬ、彼は又径行を隠微にし、省略を饒多(じょうた)し、一貫の脈絡を辿り行くに難からしめんことを務めぬ、近来に至りこの分量の彌々(いよいよ)多きは読者の迷惑する所、批評家の攻撃する所にして誠に邪経に陥りたるといふべし、◀

(「帝国文学」明32・5~「批評」)


『湖のほとり』評

▶近く出でたる湖のほとりの如き、(その)怪其奇、彼の病は肺腑に侵入して、最早治すべきの術なきを示せり。其事局の構成の不自然なるは(もと)よりいはず、顕はれ来る人間は、(ことごと)く狂者のみ、常識なきものゝのみ。嗚呼、()かる作物にのみ筆を染めて得々たる鏡花も、また()れ一種の狂人なる哉。(けだ)し彼は遂に病的作家の一人たるを免れざる也。◀

(「帝国文学」明32・5~「雑報」「病的作家」)


 読者が迷惑する、邪道だ、治す薬がない、ストーリーも登場人物もめちゃくちゃ、もはや狂人、病的作家だ、などと散々である。

「観念小説」のレッテルで持ち上げられた鏡花が、『一之巻』~『誓之巻』連作や、『龍潭譚』『照葉狂言』『化鳥』といった諸作で作風の変化を見せて批評家たちの期待を裏切っていた時期だとはいえ、これでは批評を逸脱してもはや人格攻撃である。


 ついでにこの頃の他作品への評にも目を向けてみると、


『一之巻』以降の近作に対する評

▶その文字は紆余曲折して蛇の行くが如く、繊巧(せんこう)軟弱見るに堪えず、その会話は徒に婦女子が喃々(なんなん)の低声痴調をうつして嘔吐を催さしむ。◀

(「太陽」明29.12~荒川漁郎「最近の創作界」)


『一之巻』以降の近作に対する評

(かれ)の師宗とする所の文、源氏物語なるか、徒然草なるかその(こね)くりたる、廻りくどしたる節奏なき、何ぞ一に(かく)の如くなるや。渠は晦渋(かいじゅう)といふことを作文の第一義に置き、達意といふことを最後に置きたるものゝ如し。

(「国民之友」明29・11・28~宮崎湖処子「小説六佳撰」)


『龍潭譚』評

▶鏡花が龍潭譚何ぞ朦朧として雲の如く又夢幻の如くなる。景を叙し事を記するわれ等に何等の印象をも与へざるなり。鏡花は少しく岐路に迷ひ入りしにあらずや◀

(「文学界」明29・11「時文」)


『化鳥』評

▶鏡花の『化鳥』は、(いたずら)に奇想を構へて奇文を弄したるの(あきたら)なきこと(あた)はず、(この)文士近来(この)(へい)多し」◀

(「女学雑誌」明30・4「時文」)


『化鳥』評

▶鏡花も化銀杏などからこの化鳥まで、余程変てこに化けて来たやうだ。この上はどこまで化けるか分らぬ。どうか早く本体を顕して真人間に戻って貰ひたいものだ◀

(「めさまし草」(森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨らの匿名文芸評論)~「雲中語」)


『龍潭譚』評

▶僕には何のお話かとんと解らないが、文の面だけは一頃より上手になったやうだ◀

(同上)


『なゝもと桜』評

▶人物と人物との連鎖(はなは)だ薄弱なること、描写の筆力は充分認め得べきも随分無理なる筋を書きたること、局部の妙はあれど全体に関係なき枝葉のこと多く読者の精神を岐路に走り込ませること、等の欠点があるが為なるべし。◀

(「帝国文学」明31・1~「雑報」新著月刊第九巻)


 ――蛇がうねったような文章、セリフが気持ち悪くてゲロ吐きそう、源氏物語かよ、回りくどい、わざとわかりにくくしてるんだろう、スランプだね、最近おかしい、真人間に戻れ、細部の文章はマシだが話はさっぱりわからない……などと、もはやフルボッコである(まあ、今も似たようなことを言われることが多いのだけれど)。匿名ですらとぼける鴎外、露伴先生方もお人が悪い。

 明治三十二年十一月に書き下ろし出版された『湯島詣』で、批評家、一般読者双方からの好評を得るまで、鏡花はこんな罵詈雑言に耐えていたのか。


▶彼また(けだ)し一種の天才なり、狂熱を有す、進んでやまずんば()に昔日の名を復するに難からむや◀

(「青年文」明29・7~「鏡花の進境」)


 と、ただ一人、励ましのことばを送った田岡嶺雲(たおかれいうん)が救いの神のように思えたというのも頷ける話である。


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