鏡花読書~さらさら越、湖のほとり、名媛記
『さらさら越』(明治三十二年)
博文館の子供雑誌「少年世界」で発表されたジュブナイル。
鏡花は、明治三十年に書かれた『迷子』で口語体の児童小説を書きはじめるのだが、ここではまた文語体に戻っている。その理由は「当時の少年雑誌には未だ文語体のほうが一般的に親しみやすかった」(『泉鏡花事典』)と思われるから、なのだそうだ。
明治維新後も庶民はくずし字を使っていたので楷書体が苦手だったらしく、そのうえ明治三十二年になってもまだ子供たちは口語体が読みにくかったなどという話を聞かされたら、逆にどうしてあんな小難しいものを読み書きできたのかと、現代人からすれば首をかしげざるを得ない。
ただし鏡花に限っていえば、文語体で小説を書いていた時期はまだ凝った文飾や極端な省略が多用されない初期に限られるので、文語体で書かれていると、ああ苦労せずに読めそうだとホッとしたりもする。
明け方の吹雪がやんだ山道で、猟銃を持った青年が途方に暮れている。
愛犬のジャックとはぐれて現在地もおぼつかない彼は、通りすがりの荷夫たちに道を尋ねるのだが、牛を曳く男たちは青年を邪慳にあつかう。それどころか牛をけしかけて、踏みつけさせようと迫ってくる。
この村では、町から来た狩猟者の誤射によって怪我人が出たために、鉄砲を持ったよそ者は白眼視されていたのだった。
場面が変わって、村はずれの老人の家。先ほどの青年が意気消沈している。
あわやという場面で、先刻の争いの間に入ったこの家の老人は、荷夫たちに銃を差し出すことで話をまとめて、青年を助けたのである。
青年はひ弱な貴公子なのだが、射撃の腕前だけは右に出る者がいない。そんな頼みの銃も愛犬も奪われた彼は、歩く気力も失っている。
老人はひとふりの短刀を持ちだし、熊狩りの話をはじめる。老人はこれまで、この短刀だけで熊と戦い、狩ってきたのだという。熊に出くわしても恐れず、まずは自分の膝を噛ませたところで熊の月の輪を刺すだけだ、昨夜も一頭狩ってきたのだと、こともなげに語る。
その話を聞いた青年は猛然と起きあがり、吹雪の中の山越えに出立するのだった。
軍国主義の時代らしく、男子よ勇敢たれという需要に応えた教訓話なのだけれど、その教訓を示す仕掛けが予想外で、大人でも読みごたえがある。
タイトルの「さらさら」は、吹雪のことをいっているのだろうか。
(追記)
さらさら越とは、越中と信州をつなぐ峠、針ノ木峠越えのことなのだそうだ。
佐々成政が遠江の徳川家康に直訴するために真冬の立山連峰越えをしたという伝説をさらさら越と言うそうで、それ以前から、通ればざらざらと小石が崩れることから「ザラ峠」と呼ばれていたことから、そんな呼称が生まれたらしい。
当時の子供にとってはおなじみの話で、すぐさま難所の峠が想い浮かんだのか。
〇
『湖のほとり』(明治三十二年)
なんだか川端康成のようなタイトルの作。
(1) 金沢に赴任した美術教授と、東京から来た地元出身の新聞記者の会話。
金沢の町のすぐ北にある湖、八田潟(河北潟)に、一夜にして新島が隆起するという椿事が発生した。さらに夜空には妖しく輝く新星が出現する。
湖の一部は、地元で崇拝されている、全国有数の長者にして慈善家が所有している。おりしも嫁を娶ることになった長者は、結婚の記念をかねて新島の命名式を開催し、花嫁に島の名前を付けさせるのだという。
そんな話を聞いた新聞記者は、特ダネが書けると奮い立つ。
(2) 場面が変わって、八田潟と海岸の間に広がる夜の砂浜。
艶やかな芸者が砂地に足を取られながら、何かから逃げるように歩いている。寒さに震える彼女は暖を求めようと、灯りが漏れた小屋を訪ねる。小屋の主である老人は、こんな場所におよそ似つかわしくない女が怪異ではないかと疑いつつも、囲炉裏のそばに招き入れる。
老人と芸者がうち解けてきた矢先、猟銃を手に帽子を目深にかぶった男と、若い娘が小屋の戸を開ける。彼らは水鳥を撃ちに遠方からやって来た客人で、老人から船を貸りていたのだった。娘は、新島に番人がいて上陸できなかったとこぼしながら、帽子の男に連れられて去って行く。
(3) 場面が変わって、金沢の遊廓。
芸妓のかしくに逢わせろと、学生が駄々をこねて居座っている。彼はかしくに入れあげて学費を使い果たし、家から勘当され、学校も放逐されたのだった。
女中も亭主も、かしくは旅に出ていると言い張り、強情な学生をもてあましている。学生の言動はあきらかに常軌を逸して、女に逢えば殺しかねない殺気を帯びている。
陰で女たちが笑っているのを聞いた彼は、いきなり庭先に飛び出すと蛇を捕まえ、頭を裂いて囓りつく。血まみれの姿のままで楼を出た。
――と、こんな思わせぶりなエピソードが重ねられ、次の場面は新島の命名式の当日。三つの逸話に登場した怪人物たちが街道で顔を合わせる。
何かとんでもないことが起こりそうで胸が躍るのだし、実際にとんでもない事態が出来するのだが、なぜそんなことになったのかが明かされないまま、プツンと終わってしまう。
どうやら結末にたどり着かないまま筆を折って、(後に書かれる『歌仙彫』(明45)と同じように)その場しのぎの末文をくっつけた未完の作品のようだ。困り果てて『泉鏡花事典』を開くと、本作が構想を拡げて、のちの大長編『風流線』『続風流線』となったようなことが書かれている。内容をかなり忘れてしまっている『風流線』を再読すべしということか。
『婦系図』では、明治時代に実際に起こった皆既日食が終幕をドラマチックに演出していた。
一方、この『湖のほとり』での、河北潟に新島が一晩で隆起した、夜空に特大の超新星が出現したなどは、どうもフィクションのようだ。ハリウッド映画でよく見かけるような、群像劇を天変地異でまとめるドラマの仕掛けを、鏡花はここで思いついたのだろうか。
若き日の鏡花が帰省の山越えで難渋した敦賀から金沢までの旅程は、本作が書かれた明治32年に北陸本線が富山まで延長されることによって、格段に短縮されることになった。作中の新聞記者は、開通したばかりの鉄道を利用して東京からやって来ているようだ。
長者のモデルが、実在の木谷藤右衛門という富豪(の子孫?)だったり、芸妓かしくの名は『敵討仇名かしく』という歌舞伎から採られていたりと、今昔虚実入り混じった活気あふれる設定は、なるほど『風流線』そのものである。
とはいえ、本作は本作で結末を読んでみたかった。
〇
『名媛記』(明治三十三年)
鏡花が少年のころに通った、実家のすぐそばにできた新町講義所での、プロテスタント教会の真愛学校で出会った女教師との交流の思い出を綴った作品。
実際の女教師は鏡花より十四歳年上のアメリカ人でミス・ポートルという名だったそうだ。それが『一之巻』~『誓之巻』にはみりやあど(ミリヤアド)という名で登場し、本作ではりゝか(リリカ)となっている。
『一之巻』~『誓之巻』では年上の女性に向けられた憧憬というかたちで描かれた女教師だったが、『名媛記』では少年が愛読する物語と女教師とのかかわりで関係がとらえ直されていて、切ない思い出というよりも、文学的自叙伝の様相を帯びている。
幼いころの鏡花が、当時子供の間でも大流行したらしい政治小説『雪中梅』に背を向けて、『千一夜物語』やアプレイウスの『黄金のろば』を、井上勤訳『全世界一大奇書』、森田思軒訳『金驢譚 希臘異聞』といった翻訳本で耽読していたのだと思うと、江戸文学を読んでいたなどという話よりもずっと身近に感じられる。
同時に揚げられている「鴻の鳥になったぼへみやの国王の話」とは、当時どういう翻訳で紹介されていたのか、そのうちに調べてみたい。




