鏡花読書~女肩衣 廚の一節、斧の舞、風流後妻打、蠅を憎む記
『女肩衣 廚の一節』(明治三十三年)
以前の「鏡花読書 2025/05/10」で採り上げた『胡蝶之曲』(明治三十八年)と同じ、旅興行中の女人形芝居一座を描いた小品。
こちらでは座頭の立川綾柳(『胡蝶之曲』では青柳の綾糸)は登場せず、弟子の女たちによる宿泊先の寺の廚(厨房)での一騒動が描かれる。
短いながらも活き活きとしたキャラクター付けや会話が面白い。
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『斧の舞』(明治三十四年)
機嫌斎と号する大金持ちの隠居が建てた三階建ての別荘に、ポルターガイストめいた怪異が発生する。知恵者の僧侶に相談したところ、建物を造った大工の棟梁に相談すれば、なんとかしてくれるのではないかと。
そこで呼ばれた棟梁は、一人三階の座敷に籠もって、暗闇のなかで大きな斧を振りかざしながら、悪魔払いの儀式のような動作をする。それがタイトルの「斧の舞」ということになる。
ただそれだけが書かれた小品で、末文では怪異の収束が暗示されるのだが、棟梁が何をしたのかはわからない。にもかかわらず、刻々と進む事態の緊迫を伝える筆致には有無を言わせぬものがあるし、棟梁の動きには武侠小説の名場面を読んでいるようなかっこよさがある。
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『風流後妻打』(別題:そら解)(明治三十四年)
後妻を打つのが風流? と首をかしげたくなるタイトル。
後妻打というのは、平安時代から江戸時代初期にかけて行われていた奇習で、ある男が妻を離縁して後妻を迎えることになったとき、先妻が味方の女たちを引きつれて後妻の家を襲撃する行事のようなものがあったのだという。
いつ襲いかかるのか予告をした上で行う様式的な喧嘩だったらしくて、後々まで遺恨を遺さないように、双方が鬱憤晴らしをするのが目的だったのだろう。歌川広重が描いた「往古うはなり打の図」という三枚続の錦絵を見ると、着飾った女たちが台所や掃除の道具を持って暴れていて、なんだか楽しげである。
広重の時代から「往古」と言われていたのだから、明治の時代から見れば、もはや「風流」だったわけだ。
鏡花の小説では先妻が後妻を襲うのではない。法律家として身を立てようと、単身東京で勉強をしている男のところに、故郷に置いてきた妻がやってきて、離縁を申し出る。そのついでに、妻の実家で養っていた男の妹も突き返すのだという。
その話を聞いた、男の友人の妾が義憤に駆られて、その酷い妻を懲らしめてやると息巻く。粋な女のスカッとした侠気が読みどころになる。
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『蠅を憎む記』(明治三十四年)
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/48410_35161.html
短くて読みやすく、いくつかのアンソロジーにも収録されて、比較的有名な小品だと思う。
蠅に群がられた乳児が苦しんでいるところを、姉が駆けつけて事なきを得る、という話。頬に留まった蠅を見る乳児の視線を通して、顕微鏡的に拡大された蠅の粘液的な不潔さがなまなましく描かれて、鏡花の不潔恐怖症を示す恰好の例である。
鏡花的な幻想の一つに巨大化というものがあって、女や怪僧や魚や鳥や花など、いろいろなものが現実よりもはるかに大きくなることで恐怖や神秘を煽ってきたのだが、ここでは鏡花がおばけ以上に恐れた細菌の運び手に対する恐怖が巨視化されている。
傍に寄ることさえ嫌だと思える嫌いなものを、じっくりと拡大描写ができるほど観察していたわけで、そんな鏡花の小説もまた、アンビバレンスから成り立つものが多い。




