鏡花読書~裸蝋燭……鏡花全集を買うのなら
『裸蝋燭』(別題:ポンチの記)(明治三十三年)
夜更けに荷車を曳く男が交番の前を通ると、暗がりで危ないから蝋燭を点けろと巡査に叱られ、次の交番の前を通ると火の用心のために蝋燭を消せと叱られ、次の交番ではまた点けろと叱られ……を繰り返すというコメディ。
叱られるほうも揶揄しながら応じている巡査の滑稽な頑なさは、自作の『夜行巡査』のパロディのようでもある。
作者もまた「何処までもをかしく出来ている」と苦笑いで筆を擱いているように、上意下達の組織に属する人たちが見せるおかしさ、頑なさが庶民に喜悲劇をもたらすという構図は、今も昔も変わらない。
〇
そんな組織に属する人も、もちろん同じ人間だし、それどころか職務に忠実な、正義を信じる人たちなのだけれど、逆に同じ人間が背負うことになる正義というものの荷が重すぎることで理不尽が発生するのはよくある話で……といっても刑事罰やら財産喪失やらといった重い話ではなくて、最近鏡花の本を読むかたわら、ネット上で気がついて苦笑してしまったことがある。
レファレンス共同データベースという、全国の図書館が行った調べごとのお手伝いを記録したサイトがあって、国会図書館から地方の図書館までが扱った膨大な数の問い合わせとその回答が集積されている。
https://crd.ndl.go.jp/reference/
鏡花小説を読みながら語句の意味を調べていると、よくこのサイトの質問に行きあたることがあって、回答のなかに思わぬ解決の糸口をみつけることもあり、ありがたく思うこともあるのだけれど、なかにはこんな無慈悲な回答もあった。
質問
▶泉鏡花作品の難解な言葉を調べるには、どうしたらよいか。◀
回答
▶ 1 泉鏡花事典 村松 定孝∥編著 有精堂 1982
2 世界大百科事典 1-31 改訂新版 平凡社 2007
3 日本大百科全書 1-25 小学館 1989
4 角川古語大辞典 第1-5巻 中村/幸彦編 岡見/正雄編 角川書店 1982◀
辞書を引いて調べなさい、という回答である。
一見すると『泉鏡花事典』という本が、最も役立ちそうな気がする。たしかに『泉鏡花事典』には「鏡花作品中の特殊語彙」という小辞典が含まれているのだけれど、これは作中の用例を示しているだけで、意味が書いてあるわけでもなく、インターネットやPC普及以前の研究者なら有用だったのかもしれないリストにすぎない。
また『鏡花小説・戯曲解題』として全作品の解題が含まれているのだが、詳しいあらすじが書いてあるわけではなく、作品に付随する客観的な情報が簡潔にまとめられたもの。しかもこれは岩波『鏡花全集』別巻に収録された「作品解題」とほぼ同じ内容である(『事典』は若干加筆されている)。それ以外の情報も手に入りやすい他の書籍でカバーできる内容なので、今となっては、高価な古書価格がついた『泉鏡花事典』を無理に入手する必要はほぼないといえる。買ってしまった自分としては、1,000ページ以上ある重たい「別巻」で解題を開くより、それほど厚くもない『泉鏡花事典』のほうがラクだからと言い聞かせながら使うしかない。
役に立つというより、ここに載っていることが昭和の当時、鏡花作品読解の「常識」であったことがわかるという意味がある(でしかない)「基本文献」である。
実際のところ読書中によくお世話になるのは、小学館の『日本国語大辞典』と平凡社の『世界大百科事典』で、あとはネットで閲覧する隠語辞典や方言辞典、ごく普通の古語辞典くらいか。たぶん最も役立つのは、私を含めた一般の人が使いたくても使えない、ジャパンナレッジの大学・公共図書館・研究機関等向けのサービスなのだろうが、それを使ったとしてもぴったりの意味がすぐに見つかるわけでもない。
作品ごとに、鏡花が執筆の資料にしたであろう書籍を列挙するのが、模範解答ということになるのだろうか。そうなると図書館レファレンスどころか、一生ものの仕事になりそうなのだけれど。
いずれにせよ結局は、読者の読解力、推理力、忍耐力頼みということになってしまう。
もう一つ、こちらは珍回答……。
質問
▶『鏡花全集』(岩波書店)初版14号の月報を探している。
そこに掲載されている「泉鏡花蔵書目録」が見たい。◀
回答
▶天理大学附属天理図書館が月報14号を所蔵しています。
(月報14号は巻3の付録となっております。)
こちらの所蔵は本学にはございませんので、閲覧についてはカウンターにご相談ください。◀
この質疑応答のページを当時古本屋でアルバイトをしていた娘に見せたところ、なにが可笑しいのかこちらが説明する以前に意味を了解して、なんだこれと爆笑した。
文学全集は、刷を重ねていくうちに初刷に付属していた月報が別冊にまとめられることがあって、『鏡花全集』の場合は1987年の第三刷から月報が廃され、合本「月報」が第四回配本に非売品として添付されるかたちになった(同時に第三刷では、第二刷で加えられた『別巻』の補遺・参考篇に、さらに拾遺、65ページ分が追加されている)。
つまり、初版14号の月報が見たければ、探せば手近な図書館にあるだろうし、あちこちの古本屋でも目にすることが多い『鏡花全集』第三刷の「月報」の巻を見ればいい、ということになる。
この質問をした人、かわいそうに、わざわざ天理大学附属天理図書館まで足を運んだんだろうかと、娘と語りあったのだった。
〇
結論。岩波の『鏡花全集』を古書店で購入するさいは刷数を確認して、あるいは総冊数が28冊(第一刷)や29冊(別巻が追加された第二刷)ではなく30冊であることを確かめて、月報巻が別立てになった第三刷を買いましょう。




