鏡花読書~みちゆき松の露、うしろ髪、長屋刃傷……鏡花は浪曼主義者なのだろうか?
『みちゆき松の露』(明治三十三年)
かなり酔っぱらっているのであろう「職工か仕事師かの二人連れ」が、夜の松原を歩いてだべりながら、松の露が丸まっていると思ったら馬糞だったなどと笑いあう。他愛のない小品。
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『うしろ髪』(明治三十三年)
二十歳ほどの女、お新が、ある男との逢い引きの場所として、髪結いのお光の家を借りようとする。以前からの言い含めがあったらしく、相手の男がやって来るとお光はすぐに家を空けようとするのだが、住み込みの青年、川辺旬作はお新に気があるのか、グズグズして家を出ようとしない。鈍感で執着心にまみれた男のみっともない様子を描いた短編。
最後の一句で、この男はのちにある女を殺すことになったと、キモ男にとどめを刺す。
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『長屋刃傷』(明治三十三年)
棟割り長屋にナイフを振りまわす男が乱入。
騒がしい通りの様子を窓から見ていた作者の家に、助けてくれと裸の婆さんが飛びこんできた。
長屋の男たちに取り押さえられた男は、誤って自分の指を傷つけ、流血しながら、覚えてろよと捨て台詞を吐いて逃走する。
婆さんは、芸者をしている娘と結託して男を色仕掛けで瞞し、財産を巻き上げたのだと、隣家の主婦が言う。
出来事の表層だけが淡々と記されて終わる。
明治二十八年二月、鏡花は牛込横寺町の紅葉宅を出て、小石川区戸崎町の大橋乙羽宅の二階に寄宿し、翌二十九年五月には、小石川区小石川大塚町の長屋に移った。そこから三十二年の秋までの三年余、長屋暮らしをすることになる。
本作はその時期の実体験か、あるいは噂話をもとにしているのだろう。
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こういう写実というか、むしろハードボイルド・タッチとでも言いたい筆致は、『冠弥左衛門』『蛇くひ』『妙の宮』『鐘声夜半録』『毬栗』『外科室』『髯題目』といった初期の諸作からずっと鏡花の描写の底に眠っていて、どんなに文飾をこらした作品であっても、折々顔を覗かせることになる。
鏡花のことを浪曼主義だという向きもあって、それは反目した自然主義に対峙する概念として、あるいは一部のよく知られた戯曲作品や、『龍潭譚』『高野聖』『海異記』などといった、とくに伝奇的な出来事を中心にすえた物語から受ける印象からしてふさわしいのかもしれない。けれどもその一方で、この『長屋刃傷』にみられるような感傷を排した描写の肌合いが最晩年にまで通底していることを思うと、全体を浪曼主義ということばにくくられるのは受け入れがたい気がする。
少なくとも、和歌と俳句というものを比較した場合、前者に浪曼的傾向を、後者に写実的傾向を感じとるような感性からすると、鏡花は絶対に和歌のほうには寄っていない。
デビュー時には観念小説と言われ、『高野聖』を発表するまでは写実的傾向を期待され、しかし実態は浪曼主義だったという意味では浪曼主義だといってもいいのだろうが、浪曼主義的に思える作品にあってもやはり細部を描写する姿勢は写実的で、同時代の写実主義に求められたであろう社会性や、時代精神を写すという性質を欠いているだけである。
そんな必要もないのだが、無理に何かに当てはめようとするなら、鏡花は、独自の象徴表現を過剰に用いつつ、ときには幻想と現実を並立することも辞さない、自分なりの写実主義に従った作家、とでも考えなければ収まりがつかない気がする。




