鏡花読書~鏡花の衣服描写と月下園
『月下園』(明治三十三年)
何も知らずにこの短編を読んで、かなり驚いた。
冒頭近く、ほぼ三ページにわたって、鏡花の他作品では見られないようなヒロインの内面描写があって、同じようなものが終盤近くの一ページを占めている。文章のタッチは鏡花のものというより、尾崎紅葉が心理描写を尽くした名作『多情多恨』(明29)にそっくりである。
師弟関係にあるとはいいながらも、作風はまるで違う紅葉の文体を模倣した、こんな作品も鏡花は書いていたのかと、ちょっと興奮気味で読み終えたのだけれど。
読後に調べてみると、それもそのはず、『月下園』は、尾崎紅葉、泉鏡花の合作として発表された短編なのだった。
翌三十四年には、紅葉と門下生の合作をメインに据えたらしきアンソロジー『あだ浪』という本に、小栗風葉、田中涼葉、柳川春葉の短編、徳田秋声の跋文とともに収録されている。
けれども本作が書かれた当時の紅葉は病床にあったこともあり、『月下園』は実質的にほぼ鏡花の単独作品だとみなされているようで、全集の紙面にも紅葉の名は示されていない。だとすると最初に自分が驚いたとおり、鏡花は本作で、かなり意識的な紅葉の文体模写をしているのではないかと思う。
作品が最初に掲載されたのは「夏模様」という、三井呉服店(今の三越百貨店)発行の、お得意先の顧客に配られた広報誌だったらしい。百貨店が広報誌を出すというのは英国ハロッズ百貨店の視察から生まれたアイデアで、着物の図案見本とともに小説やエッセイも掲載されていたというから、のちの婦人雑誌の元型のようなものだ。
尾崎紅葉は(具体的にどんなことをしていたのかは知らないが)三越経営陣の相談役のようなこともしていたというから、紅葉宅には三越のカタログめいたものが届いていてもおかしくはなく、鏡花には、それらや「夏模様」の企画書やらを参考にしながら、着物の購買促進も織り込んだ作品が求められたのだろう。
現代の読者を悩ませる、あの、人物描写の代わりに衣服の詳細をびっしりと書き込む鏡花特有のスタイルは、(以前から小説の書き方として師から学んでいたのだろうが)もしかすると本作の執筆経験がそれを決定的なものにしたのかもしれない。
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さて、衣服の描写に悩まされることに変わりはないとはいえ、『月下園』はなかなか愉快な作品だった。
日陰の身として男を立てる、明治の恋愛観をもった女優が、若い享楽的なカップルの浮かれた生活ぶりを聞きながら、最後にブチ切れるというお話。代作めいたことをしても師匠を立てる、鏡花自身の立場も重なっているのかもしれない。
歌舞伎ファンは、熊谷陣屋の制札の見得めいたラストに笑ってしまうだろう。
それにしても、紅葉の論理的で読みやすい文体をまねた鏡花の文章は必然的に読みやすく、それでいて小説的な中身が薄まっているわけでもない。このくらいの読みやすい文体でいくつかの中・長編を残していれば、現在の鏡花の人気ももう少し高かっただろう気もするのだけれど……。




