鏡花読書~鏡花小説の舞台と鷺の灯
『鷺の灯』(明治三十六年)
タイトルは『鷺の灯』と読むのかもしれない。
鏡花読書 2025/04/05で扱った『青鷺』(明治44年1月・全集巻十三)という短編の全長版。『青鷺』は、怪異を目撃した老人の一人語りだったが、こちらは温泉宿の宿泊客が老人から話を聞いてその真偽を確かめるという、重層的な展開のある小説になっている。
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舞台になったのは「越前の国福井の市のはづれ、御嶽が目の前に聳えて」という場所にある斎念の湯という温泉場で、おそらく架空の地(寺の名前)のようだ。
なぜ鏡花が、まるで縁のなさそうな福井を舞台にしたのか。
いや、あの夜叉ヶ池も福井に実在する池なのだし、まんざら縁がなかったわけでもない。
明治二十七、八年に遡って、この二年間の鏡花の動向を年譜をもとに箇条書きしてみると、
① 明治二十七年一月九日、父清次没。急ぎ帰郷した金沢で『鐘声夜半録』などを執筆して師の尾崎紅葉に送る。
② 七月、東京に戻る。『義血侠血』発表。二十八年二月。紅葉宅を出て小石川の大橋乙羽宅に移り、博文館で働く。四月『夜行巡査』発表。十一月四日、満二十一歳。
③ 明治二十八年六月、脚気療養と祖母見舞のため金沢に帰郷。
④ 十月、東京に戻る。実家の戸主を相続。十一月四日、満二十二歳。十二月、金沢の実家を売却。『瀧の白糸』無断上演事件。
……といった慌ただしさのなか、東京―金沢間を二度も往復している。
今でこそ東京から金沢へは北陸新幹線で二時間半ほどで着いてしまうのだが、鏡花の時代は東海道線で米原まで行き、そこから北陸本線に乗り換えて敦賀まで行くという大回りをして、さらにそこから徒歩や駕籠で山越えをして金沢を目指さなければならなかった。
おおざっぱな位置関係でいうと、時計の4時の位置が東京、9時の位置が敦賀、11時の位置が金沢にあたる。4時から9時までの汽車の長旅の末に、9時から11時まで数日かけて山道を歩く――しかも①は豪雪のなか、②、③は暑いなか、脚気を患った足で歩いたのだろうから、命がけの旅だったにちがいない。
④の帰京の途上(つまり時計を反対回り)、鏡花は金沢と敦賀の間にある福井(9時30分あたりの位置)の今庄、板取、栃の木峠で、大水害に遭った直後の福井の様子を見ていたらしく、そのときことは随筆『栃の実』に記されている。
結果として鏡花の小説の舞台は、主に金沢と東京(江戸)がメインで、それらをふくめたこの時計のぐるりが基本となっている。
さらに中期以降は、その後に旅をした(8時の位置の名古屋の延長にある)京阪神、琵琶湖周辺を主とする近畿地方、紀伊半島や、(2時の位置の延長にある)東北方面が加わって、現世を描いたあらかたの小説の舞台が、その範囲内に収まることになる。
何ごとも不自由な時代に決死の旅を強いられたとはいえ、結果的にその経験が生涯にわたって鏡花の小説世界を彩ることになったのだから、簡単便利にはなったものの、どこへ行くにも効率的な行動を強いられて終わるだけの今の時代となっては、逆にうらやましい気さえしてしまう。
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さて、小説『鷺の灯』。
さびれた温泉町で退屈に倦んでいた青年が、元狂言師の夜回りの老人から鷺の怪異の話を聞いて、その真偽を確かめるべく老人の夜回りに同行するという段取りが面白く、しかも最後にはトリッキーな種明かしもついている。
とはいえ、怪談自体にはそれほどの新味があるわけでもなく、文章もさらりと流した印象。鏡花にしては軽いタッチの読み物で、狂言の文言を織り込んだ語りの面白さは、むしろ本作の抜粋版にあたる『青鷺』のほうが気が利いている。