鏡花読書~惡獸篇
『悪獣篇』(明治三十八年)
いやあ、タイトルからしていいですねえ。『惡獸篇』という、旧字体の字の姿がまたいいから、安易に新字に改めるのがためらわれる。
若く美しい人妻が妖怪に取り憑かれるというお話そのものは、まあ鏡花らしい怪談だというほかないのだけれど、その見せ方、語り方がいい。そして妖怪のキャラクターがいい。鏡花好きなら大好物なはずの怪異譚です。
「悪獣」とは猫のこと。
鏡花作品において猫は化け物の一種で、狐や狸、鼬、河童のたぐいと同列の扱い。ただしそれは江戸の怪談を引き摺った文脈のなかでのことで、実際に身近に接した猫については、猫好きだと言ってもいいほど愛らしく描いていたりもする。
本作に登場するのはもちろん化け猫のほうで、とはいっても猫の正体を見せるのは一瞬のことで、作中ではほとんど、三人の老婆の姿で現れている。
この老婆たちの外見や振る舞いの奇ッ怪な描写がこの作品のキモだといってもいい。普段はそれぞれ、金色の目をした坂下の姉様、紅糸の目をした洲の股の御前、銀の目をした山の峡の婆さまという姿をして、本性をみせる場面では、猫じゃ猫じゃよろしく浮かれ踊ったり、歌ったり。西洋人の別荘も多い逗子海岸にふさわしく、水色、白、水紅色の衣を着た三人の西洋婦人に化けたりもする。
老婆もまた鏡花作品では、親しみのある老女を除いては邪悪な存在として描かれがちなので、同じ特性を持つもの同士、「猫」と「老婆」は入れ替え可能なのだろう。
シェイクスピアの『マクベス』にも同じく三人の妖怪めいた老婆が登場するのだが、松岡和子の訳書には「3はマジック・ナンバーと言われ、魔法や呪いは三度繰り返される」と注されていたりもするわけで、鏡花作品における三人の化け猫老婆というのは、かなり決定的な、据わりのいい怪異なのである。
そしてもう一つ、忘れがたいのは、若奥さまが坂下の老婆に触れられた夜の狭島家別荘での独り寝の場面で、夢の場面と現実の回想が錯綜し、いま見ているものが夢かうつつかわからなくなったところで怪異に遭遇するという、筆の運びのすばらしさ。鏡花小説中でも際だった冴えを堪能できる。
その老婆たちに拐かされた奥さまが、ただちに自死しなければならないような辱めを受けたのだというぼかし書きの嗜虐性も、まさに鏡花好み。
たとえ物語や結末が他愛なくても、こうした偏愛の対象となる魅力が詰まった作品があるところが、鏡花読書の楽しみの一つです。




