鏡花読書~千鳥川、外国軍事通信員、柳小島……折り返し
『千鳥川』(明治三十七年)
海辺の茶屋で酒を飲んでいる学生が、店のおかみと、つい先頃あった心中事件の噂話をする。死んだ女は世間の非難を浴びていて、おかみも、恥さらしだ、器量が悪かったと悪口ざんまい。
それを聞いた学生は、
「嘘でもいい、追善菩提のため、飽くまで誉めろ、思うさま庇って話せ」
と憤慨する。ただそれだけの小品。
鏡花小説に、なぜ美女ばかり登場するのかという種明かしを読んだ気にもなる。
二人の会話を隣席で聞いている、あてなる令嬢を配したところが、絵画的な工夫めいて面白い。
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『外国軍事通信員』(明治三十七年)
おそらく版元から、日露戦争(明治37~38年)の翼賛的な作品を求められて、応じて書いたのだろう作。
すし詰めの列車が停車中に、兵士を乗せた列車と隣り合わせになった際に、乗り合わせたイギリスの通信員が、バンザイと日本勝利の祈念を叫ぶ。
他愛のない小品だが、鏡花作品に頻出する列車車中や、ちらりと覗いた軍用列車内の描写が印象的である。
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『柳小島』(明治三十七年)
『泉鏡花事典』ではタイトルを「やなぎこじま」と読んでいるが、本文中に「やなぎをじま」とルビが振られているので、正しくは「やなぎおじま」だと思われる。
これも日露戦争の翼賛的な要素を含んでいる。
出征中の夫の帰りを待つ貞淑な美女を、好色な村長の一味が狙っている。あわや毒牙にかかるのかと気を揉んでいる村人たちは、弁天様の奇跡によって万事解決の幻を見る。
巧みに張られたことばの伏線や、弁天様かと思われた女の正体が明らかになる二段落ちのラストなど、意外にも、なかなか手のこんだ短編なのだった。
以上三編は鏡花小説のなかでも、かなり文章が平易で読みやすい部類。
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この『柳小島』をもって、一年九ヶ月ほど前から読みはじめた鏡花小説の、初読、再読を合わせてちょうど150篇を読了したことになりました。
春陽堂版全集をベースにした岩波版全集の小説篇の作品数は288篇だとはいえ、追加的に以後の巻に収録されている数編を加えたとして、さらに『二、三羽――十二、三羽』のような、なぜか小品の巻に収められているが、重要な短編小説だと考えられる作品をどう扱えばいいのか、あるいは別巻の参考篇として挙げられた作品はどうするのか、などの問題もあって、鏡花小説の総数はおおよそ300篇とでもいうしかない。長編も含めて読んだ分量が150篇なら、まあ半分に達したと思ってもいいのではないか。
以前、『失われた時を求めて』を精読(といっても翻訳ですが)したときは一年半ほどかかったのだけれど、途中で休んだ時期もあって、実質ほぼ一年強はかかったことを思い出すと、鏡花小説をクリアするのは(自分にとっては)『失われた時を求めて』を読了する三倍以上、大変だということになる。
小説以外にも戯曲、エッセイ、雑文のたぐいが残っていることを思うと四年以上はかかりそうで、はたして完走できるのだろうか。
せめて小説だけはと思って、ぼちぼち続けていくつもりです。




