表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こりすま日記  作者: らいどん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/132

鏡花読書~無憂樹

無憂樹(むゆうじゅ)』(明治39年)


『春昼』というトガった作品の直前に書かれた、長編に準ずる長さを持つ中編。量的にもさることながら、内容的にもこの時点での集大成を目指したかのような力作だった。

 以下、結末寸前までのネタバレとなります。


 一般的にはあまり知名度の高くない作品なのだけれど、読んでみるとそれも納得である。書き出しからして江戸読本を模したような密度の濃い文章が延々と続き、工芸や着物、遊廓、信仰、動植物、歌舞伎、講談などなどにからめた、懲りに凝った文飾が詰めこまれている。

 さらにやっかいなことに、長めだとはいってもたかだか二百ページほどの分量に対して、登場する人物が多すぎる。ぼんくらな頭ゆえ、メモを取るでもしなければ理解できない。


 参考までに書き出してみると、


――――――――――――――――――――――――――――――――


【登場人物】(〇は主要人物)

[俵屋]

田原(たわら)平兵衛兼長(かねなが)  伊勢古市、俵屋の金工師。五十一歳

 千鳥  上の亡妻

 鴨江  千鳥の亡姉。扇職人と不義の駆け落ちをして、娘お(えり)を残す

 兼長の母  七十歳ほど

兼次(かねつぐ)  総領息子。二十歳。学生

次郎助(じろすけ)  上の弟。十三歳


[津田屋]

 金蔵  妙見町(みょうけんまち)の旅籠屋、津田屋の先代主人

高作(こうさく)  若旦那。津田屋の現主人

〇お米  高作の妹

 小平  先代の頃の番頭

小出(こいで)庄九郎  俵屋を裏切った金工師

 お杉  津田屋の女中頭


[扇屋]

〇お襟  襟坊(えいぼう)。扇屋の芸者。務めの名お扇。兼次の母の姉の娘。

 松吉  扇屋の芸者。庄九郎の愛人

 若代(わかよ)  扇屋の芸者

 喜いちゃん  扇屋の芸者

 光枝  扇屋の芸者

 お民  扇屋の芸者

 お時  扇屋の女中

 千代  扇屋の禿(こおんな)

 おかみさん  扇屋の主婦

 松ちゃん  扇屋の男衆か


[その他]

 丈賀(じょうが)  按摩

 旅の六部  ?


[官憲、司法関係者]

 巡査たち

〇東條六郎  地方裁判所予審判事

 松子  上の妻

 尾形維明(おがたこれあき)  検事


――――――――――――――――――――――――――――――――



 彼らの関係性もまた複雑で、たとえば俵屋(田原兼長)の家の場合、



――――――――――――――――――――――――――――――――


    京都の扇折の夫婦(没)      伊勢の彫金師

        |            父(没)―――母  

  ―――――――――――――――         |

  |               |         |

鴨江(没)――不義の夫(没)  千鳥(没)―――田原平兵衛兼長

      |               | (再婚、先妻との子なし)

      |            ―――――――

      |            |       |

    お襟(お扇)………♡……… 兼次     次郎助


――――――――――――――――――――――――――――――――



 ……といった具合。気を抜くと、誰が誰の親やら子やらわからなくなる。

 主人公はいちおう、(親戚関係からして鏡花自身のポジションにある)彫金師の家の嫡子、兼次(かねつぐ)のようではあるが、ヘタれてばかりでまったく活躍しません。


 物語そのものはきわめて単純である。

 彫金師の俵屋、田原兼長が、かつて妻の思い出を込めて彫り上げた千鳥の香合を、現在の持ち主である旅館の若旦那が、鋳つぶして金の鎖にしようとしている。渾身の作品が無に帰するのかと絶望する兼長を思った近親者たちと、その情を汲んだ若旦那の妹がなんとか香合を救おうとするのだが、すべてが裏目に出る。

 そんな家族の苦悩を見かねた、まだ幼い俵屋の次男が香合を盗み出して、無憂寺に隠してしまう。次男は窃盗犯として警察に逮捕され、悲観した近親者たちは自殺や発狂に追いこまれる。若旦那の妹は、地方裁判所の判事のもとへ嘆願に行くのだが……。

 のちの長編『由縁の女』に取り入れられ、『ピストルの使い方』で再利用されることにもなる、鏡花の父親に降りかかった実際の事件を題材に、劇的な潤色を施したストーリーなのだった。


 まず最初の舞台となるのが、職人の父、長男と次男、祖母という、鏡花の実家の様子をそのまま模したような彫金師の家。中盤の舞台になる遊廓については、上京以来の作家活動を通じて、花柳小説という一つの得意ジャンルを築き上げるに至った実績があるのだし、後半の舞台となる無憂寺(おそらく架空の寺)には、鏡花の幼いころの信仰の対象であった摩耶夫人が祀られている。そして物語は、若き日のヒット作『義血侠血』と同じく、法廷劇をもって結末を迎える。

 つまり、すべて得意な要素を寄せ集めた万全の設定のもと、十二分に彫琢された文章で、これも鏡花の十八番の、肉親への情愛や恋に苦悩し、義理と(まこと)の板挟みになる女たちの物語が語られるのだから、面白くならないはずはないのだけれど……。

 これが創作物の微妙かつ不思議なところで、部分的な描写に目覚ましいものがあるにしても、前半の息苦しくなるような設定に対して、登場人物たちのあまりにも類型的な造形と活躍不足の感は否めず、あっけない印象を残したまま急転直下の結末を迎えるのだった。

 鏡花の神がかった筆力に対して、準備の周到さが(あだ)になったかのような惜しい作品で、のびのびと描けているのは次男の少年くらいではなかったろうか。


 けれどもその、不完全燃焼のままの急転直下の結末部分に、驚くべき飛躍がある。

 なんと、クライマックスの裁判劇では、法の厳守と人情の間で揺れ動く裁判官たちの就寝中の夢が、関係者たちの眼前の暗闇に幻灯のように投影されるなかで判決が言い渡される。

 なんだそれ? そんな作劇ってありえるの? と思えることをやってしまうのが鏡花マジック。どの作品も読んで損はない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ