鏡花読書~小春、青鷺、酸漿、築地両国、妖術、逢う夜
『小春』(明治43年11月)
『春昼』しかり、『懸香』しかり、『黒髪』しかりで。
鏡花の作品では、主人公が目的もなくぶらぶらと歩いているうちに怪異に巻きこまれるという展開が多い。
彼らは、わざとのように、魔がつけ込む隙を見せびらかしながら逍遥する好事家で、怪異のほうも、それに応えるように鮮やかな姿を見せるのだけれど、本編に現れるのは、道ばたに棄てられた古靴が少しずつ動いているように見えたという、まことにショボい怪異。
しかも、それを忘れさせるような心温まる一場が発生して、靴のことなどどうでもよくなる。
ただの小春日和の逍遥記に収まってしまうのが、逆に意外といえば意外。
〇
『青鷺』(明治44年1月)
『鷺の灯』(明36年、全集八巻収録)という短編(未読)を改作・短縮したものなのだそうです。
群れをなして池に集まる青鷺を目の敵にした夜回りの爺が、夜中に酔いに任せて棒で払ったところ、鳥が女の姿になったという、ちょっとしたおばけ話。
ひねりも何もないのだが、元狂言師の爺の、謡曲、狂言の章句を織り込んだ語り口が読みどころ。
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『酸漿』(明治44年一月)
不潔や伝染病に対する神経症的な嫌悪感、恐怖心を、紅いほおずきや鮮血でイメージ化した、まさに鏡花らしい、鏡花らしさの凝縮した、鮮烈な一篇。
この時期のものにしては読みやすく、また短いので、鏡花入門にもうってつけだと思う。名作。
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『築地両国』(明治44年3月)
ちょっとした小品。
キリスト教徒の老嬢から銀時計を掏った小僧と、掏摸仲間の姉さんのお手並みを描いた一場面。
ここで戯画的に描かれるキリスト教は、鏡花がたびたび作中でからかっている救世軍なのかもしれない。
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『妖術』(明治44年5月)
これもまた、ぶらぶら歩きの主人公が怪異に巻きこまれる一篇。
題名はおどろおどろしいのだが、「妖術」というのはイリュージョン・マジックのようなもので、それほど不埒でもない中年男が手品師の美女に化かされる、というお話。
美女が自己紹介をする、
「年は婆さん、お名は娘、住居は提灯の中」
というふざけたセリフが、のちに書かれる『ピストルの使い方』(昭和3年)の名セリフ、
「年は狐……星は狼」
の原型になっているようだ。
浅草仲店、浅草寺、その裏手の新吉原付近を描く風俗描写も面白い。
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『逢う夜』(明治44年6月)
たった九ページの小品。
若い男と芸妓の、恋仲なのだけれど結ばれない男女が「逢う夜」の、食後の散歩をしたり、遊廓の関係者から身を隠したり、おやつを食べたり、といった、彼らにとっては日常の一コマにすぎない一夜を切り取っただけ。
――なのだけれど、最後の一行に向けて、すべてのことばが深い意味をもつ、忘れがたいものに思えてくる。
こんな、これぞ文芸作品といった掌編を、鏡花は書いていたんだな。すばらしい作品。




