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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~櫛巻……鏡花逆異世界おじさん説

 明治四十三年に泉鏡花が書いた『櫛巻(くしまき)』という、ごく短い短編がある。


【あらすじ】

 兼六園の広場に面したお屋敷に、ベゴニアの花を愛する夫人が住んでいました。

 その日は、地元名士の奥様たちからなる婦人会の大会が開催されて、公園内は女たちの活気や花火の轟音でざわめき立っています。ベゴニア夫人も気持ちを浮き立たせながら、ベゴニアの鉢の手入れに余念がありません。

 そこへ女中が、婦人会副会長、島山波子の来訪を告げました。

 その名を聞いたベゴニア夫人は、なんらかの決意を胸に、ある女性の写真を帯にはさんで、島山と面会しました。


 島山波子は、かねてから奥様に対して、婦人会の会合に出席してほしいと懇願していました。今日はその当日。お屋敷に引きこもった夫人を連れ出しに来たのです。

 当の夫人は、遠方からのお友だちが来たばかりだからと、あくまでも承知をしません。

 そのお友だちといっしょに出席してほしいと執拗に勧誘する波子に対して、夫人は写真を取り出すと、お友だちはここにいるが、着替えられないので外出はできないと言うのです。

 写真がお友だちだと言い張る夫人に呆れて、波子は屋敷を去りました。


 波子を見送って、ベゴニア夫人の部屋を訪ねた女中は驚きました。

 なんと夫人は、高価な御召縮緬の羽織をはさみで切り裂きながら、写真に端切れを貼りつけているのです。

 錯乱したのかと心配する女中に対して、夫人は事情を説明します。


 この写真の女性はある小説家の妻で、ご主人の病気療養のために鎌倉に行ってしまった。過日は自分もそこを訪ねて、二人で海岸で遊び、記念に御召縮緬の羽織を贈った。その人は贈り物を返して、自分が戻るまで預かって欲しいと言った。まだ再会を果たせない私は、せめて写真の彼女に着せてやろうと、こうして着物を貼りつけているのだ、と。


 そのとき、突然の驟雨が、兼六園に降りかかってきました。

 晴れ着を着た参加者の婦人たちは、大慌てで雨宿り先を求めて、ベゴニア夫人の屋敷に押しよせてきます。

 島山波子は、身を楯にして、ここに入ってはいけません、皆さんは濡れてください、と女たちを止めようとします。

 その努力も空しく、女たちは波子の着物を乱しながら、お屋敷へとなだれ込んでいくのでした。

 うつむいた目に、不意の涙を浮かべる波子。

 ああ、この人もまた美しい。(了)



 これもまた、明治後期から大正初期の鏡花作品に散見される、不条理というほどではないが筋の通らない、何かをしきりに訴えかけているようだが真意がつかめない短編だった。

 ストーリーだけでいえば、まるで、吉行淳之介の短編集『鞄の中身』や『菓子祭』あたりに収録されていそうな、「奇妙な味」と呼ばれるタイプの小説に属するような気がする。


 松村定孝の『泉鏡花事典』を見ると、こんな解釈が書かれている。


 ▶大驟雨 [にみまわれた女たちは]、婦人会での晴れ着の崩れを厭らって、雨宿りに邸内になだれ込む。それをさきほどの [出席を拒否された] 怨みから意地で阻止する島山夫人。末尾の二行が「……あゝ、此の人も美しい」となっているのは、名流夫人を誇る女性にも一掬の哀れみの手を惜しんでいないわけで、だからこそ「(うつむ)いた目に()と涙」の表現が用意されたのだ。鏡花は島山夫人の如きタイプを嫌悪し、ベコニヤ(ママ)夫人の味方ではあるが、この作品では、さまざまな女性それぞれの在り方に温い眼をそそいでいるのが見処であろう。◀(適宜省略・補填)


 つまり、婦人運動よりも身近な者へ愛を注ぐことを大切にするベゴニア夫人の在り方は美しく、しかし、立場上の意地を通そうとする島山波子にも別種の美しさがあることを、この小説では鏡花は認めた。

 ……ということになる。



 なるほど、それがごく常識的な解釈なのかもしれない。

 でも私は、こんなふうに思って読み終えていた。


 これは、病気療養のために鎌倉方面に逗留中の作家(つまり鏡花)が、すずのもとに訪ねてきた女友達と仲睦まじくしている姿を見て、レズビアン的な愛情を妄想しているのではないか。

 じつは島山波子もベゴニア夫人に対して、同種の感情を抱いている。波子が女たちの雨宿りを止めたのは、ベゴニア夫人、鎌倉夫人、そして自分からなる三角関係の聖域に他人が踏み入れることを拒もうとしたのではないか。

 好きだからこその意地悪をして、人に言えない意地を通そうとして、どちらも思い通りにならず涙したのではないか。

 女たちのそんな愛憎の機微を妄想した鏡花は、それらすべてが美しい(てぇてぇ)と思った。……


 うーん、あまりにも後世のキマシタワー!!!、ツンデレ、てぇてぇに毒された解釈なのだろうか。

 もしこの読み方を通そうとすれば、周囲がツンデレという概念に気づいていない状況で、鏡花だけがツンデレを意識していた、つまり逆「異世界おじさん」的な立場にあったということになる。

 谷崎潤一郎ならありえるかもしれないが、鏡花にそれはないだろう、と言われそうな読み方なのだけれど。


 これについての反証としては、『霊象』、『星の歌舞伎』、『桜貝』、『幻の絵馬』など、松村定孝の指摘するとおり、婦人会、慈善会などに属する能動的女性は、鏡花小説においてつねにノンデリの悪役として描かれる、ということがある。

 一方で肯定的な例証としては、『勝手口』のお蝶に対する女中の百合妄想的な発言や、『幻の絵馬』の錦木和歌子の強烈なツンデレキャラっぷりから、鏡花にはあきらかにオタク文化的なノリを先取りする感性が備わっていたのではないか、という見方がある。


 いや、そもそも言うにしても、言い方を改めなければ、誰にも相手にしてもらえないような。


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