クイーン
どんな本を好むのかと訊かれると、もしかしたら、ミステリー小説が好きだと答えるかもしれない。けれども考えてみると、ミステリーの名作というものをあまりにも読んでいないので、これではミステリーのファンだとはとても言えない。
おかしいな、子供の頃からミステリー小説は大好きで、面白そうなものを片っ端から読んできたような気がするのに、思い返すと誰でも読んでいるような有名作品を読んでいない。どういうことだ。うーん、これはたぶん、好き嫌いがあまりにも偏っていて、ミステリーというジャンルが好きというより、ミステリーの範疇に属する作家に好きな作家が多い、ということなのかもしれない。
エラリー・クイーンという作家も、アガサ・クリスティと並ぶくらいに有名だし、フレデリック・ダネイとマンフレッド・リーという本名をすらすら思い出せるくらいよく知ってはいるけれど、実はいくつかの短編くらいしか読んだことがない。何度か読もうとして、退屈して、途中で放棄してしまった記憶がある。
いつまでも読まずにいるのも申し訳ないような気がして、世評の高い『エジプト十字架の秘密』を読んでみた。原稿用紙換算で900枚以上の長編。
タウ十字やアントニウス十字とも呼ばれるT字型のエジプト十字架に首なし死体を磔にする連続殺人事件の話。大好物なストーリーのはずなのに、とくに昂奮することもなく読み終えてしまう。なるほど、読者の想像を上回る謎解きというのはこんなふうに構成するのかと感心するのだけれど、それ以上の感慨が湧いてくるわけでもない。
クレイジーな殺人の話なのに、文章も、描き方も、見せ方もぜんぜんクレイジーではなくて終始理知的なところが自分にはつまらなかったのだろうな、と思う。
ディクスン・カーとか、ヘレン・マクロイとかだと、つまらない話でも面白くてたまらないのに、クイーンだと神がかったといわれる作品でもそれなりにしか思えないのだから、おそらく自分は、ストーリーやロジックの面白さより、ディレクションやイメージの面白さばかりに惹かれてしまうのだろう。
小説の冒頭で探偵エラリー・クイーンが、ウェスト・ヴァージニア州のT字路に立ってエジプト十字架に思いを馳せる部分は、偶然にも泉鏡花の『春注後刻』で、散策士が伊豆の丁字路に立って鬼のアトリビュートである撞木を連想する描写と重なっている。
十字路や丁字路というものは、洋の東西を問わず魔力を感じさせるものなのか。
『エジプト十字架の秘密』には複数の旧訳、新訳があって、どれを手にするのか迷ったのだけれど、結局、ハヤカワ・ミステリ文庫の古い訳のものを買って読んだ。だって、創元や角川の、ちょっと頂けないそれらに比べてハヤカワの北園克衛のカバーデザインは、今以て、持っているだけで嬉しくなるほど段違いにすばらしいから。




