記憶
このところずっとそのことばかり考えていた「泉鏡花『南地心中』 現代語訳」が、あとがきまで含めてやっと終わった。現代語訳のほうの本編だけの原稿用紙換算で、百枚ちょっとほどのものに十日ほどもかかったのだから、やはり大変な作業だった(その前に下読みがあって、アップ後に気づいた部分の修正もあるだろうから、実際はもっとかかることになるのだけれど)。
鏡花の現代語訳をはじめた最初のころに比べれば、ずいぶん読み込めるようになった気がするとはいえ、普通の作家なら使われる語彙にも慣れて、辞書を引くことも少なくなるはずなのに、鏡花の場合、辞書を引く量がまったく減らない。作品ごとに未知の語彙と奇抜な比喩が大量投入されるのだから、とんでもない作家だな、と思う。
いつもの「あとがきにかえて」という文章を書いているとき、芥川龍之介のある文章を思い出して、そのことも書き加えたのだけれど、考えてみると芥川のその文章を読んだのは何十年も前のことで、高校の図書館にあった芥川龍之介全集を最初から最後まで読んだなかにあった短い一部だった(俳句の部はさすがにわからなくて、飛ばし読みしてしまったけれど)。
記憶というのは不思議で、忘れてしまって当然のことが何かのきっかけで、昨日経験したことのように思い出されたりする。
いや、ぼんやり生きていると、かえって昔のことばかり思い出してしまうという、危ない兆候なのかもしれないけれど。




