鏡花読書~雛がたり
『雛がたり』(大正六年三月)
青空文庫
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雛人形にまつわる随筆。かなり難度の高い作品だと思うのだが、題材としては親しみを感じさせるものだからか、検索をしてみるとかなりの数のブログ等で触れられている、人気の高い作品のようだ。岩波文庫の「鏡花短編集」(川村二郎編)に収録されているからでもあるのだろう。この厳選アンソロジーに収められていなければ、流し読みで済ませたかもしれない。よくぞ拾ってくださった、さすがの炯眼である。
擬古文調の格調の高さと、戯作っぽい談話調が混交した、鏡花流の名文を凝縮したかのような密度の濃い文体で、一つ一つのことばや言い回しの意味を確かめながら読むと難行苦行になる。冒頭の「雛づくし」で挙げられるいろいろな雛人形なんて、今となっては姿かたちのわからないものも多い。狆曳き官女なんて、調べてはじめて知った。
催馬楽の歌詞、巨勢金岡に左甚五郎、『枕草子』、『古今著聞集』、『新古今和歌集』、あるいは芭蕉其角の句に寄せて、ほろ酔い気分でぺらぺらと博聞強記を混ぜて説く相手は芸妓なのか。
しかし、鏡花さん、
▶袖形の押絵細工の箸さしから、銀の振出し、という華奢なもので、小鯛には骨が多い、柳鰈の御馳走を思出すと、ああ、酒と煙草は、さるにても極りが悪い。◀
とおっしゃいますが、雛飾りのお道具の、銀の「振出し」(金平糖などの茶菓子を入れる茶道具)って、二つ並んでいる金属のあれは、形は似てるけど、花瓶ではないでしょうか。
「袖形の押絵細工の箸さし」というのも、名称はわからないけれど、どうやら花瓶に挿して花を束ねる器具のことを言っているようで、「箸さし」なんかではない。
わざとおかしなことを言っておどけてるのだろうけれど、そもそもがおかしなことだと気づくことが、なんと困難なジョークであることか。
冒頭の雛づくし、お道具づくしに続いて、亡き母の嫁入り道具の雛の記憶から逗子時代の回想へ。
逗子から静岡への小旅行中に、安倍川餅を売っている餅屋の奥で、雛にまつわる小怪異が起こる。憚りを探して覗いた一瞬だけ、雛たちの姿が「楽屋の光景」のように乱れていた。
これが小さな異界への導入となって、店を出た筆者は安倍川のほとりで、雛市の準備らしき緋毛氈が風に翻って、柳の根方にまといつくのを見る。
▶私は愕然として火を思った。◀
続いて富士山が見える。賤機山の南麓には静岡浅間神社がある。浅間神社の祭神は、富士山と一体化した木之花咲耶姫命で、火中で出産をした火の神でもある。緋(火)が金沢大火の記憶を呼び醒まし、その裏に埋めこまれた女神のイメージが、直前に置かれた若き日の母の姿(ことに弟を産んだ産褥期からの最期の姿)に重なる。
このあたりの連想のなめらかさは、読み込めば読み込むほど神技めいて思える。
そして、雛をめぐるイメージの旅は、番町の家の書斎脇にある貼交屏風に散らされた『偐紫田舎源氏』のヒロインたちに帰着する。
文庫本にしてたったの九ページに過ぎないが、丸一日かけて読んでもまだわかりきれていない想いが残る、なまじな中編に匹敵するほどの、特濃鏡花小品なのだった。




