鏡花読書~仮宅話、きん稲
『仮宅話』(大正十三年四月)
大正十二年(1923年)九月一日に発生した関東大震災後の市井の状況を、小説として初めてつぶさに描いた作品。二月の暮れ方、震災後に仮設された芸妓屋、元藤屋を、鏡花自身を思わせる桑という男が訪ねる。
▶九月一日の宵、唯一時に灰となった。……
電車の築地行きと思ったのが、日比谷から一なぐれに仙女香の辺まで焼腹を持って行かれた時は、大袈裟でも何でもない。見知らぬ島へ放たれた気がした。風に、日の種の色の旗の南の天に高く翻るのを、あれは朝日新聞と、路傍の人の指すのを聞くと、濛々たる砂煙の中に、大煉瓦の青く顕れたのを見て、やがて、銀座の空の方角を思ったのであった。◀
仙女香というのは当時京橋三丁目にあった豪華な建物で、明治の錦絵で見るような洋傘を売っていた仙女香坂本商店のことのようだ。倒壊した建物の残骸が建ち並ぶ日比谷から京橋の惨状を見て、その先にある銀座に思いを馳せたのだろう。「夢のようだね」「全くよ、あなた」と、作中人物たちが嘆じあう。
桑が十五、六年来通い続けた芸妓屋、元藤屋は跡形もなく、隣家の顔見知りから仮宅がそれであることを知る。仮宅には彼の馴染みの芸妓である松江と雛妓のお絹がいたのだが、松江はこれから座敷に出るところだという。
慌ただしい再会のなかで、桑はあらためて松江への「逢初めてから十幾年、力のないのを憚って、口へは出さない、思い恋うる一念」を噛みしめる。
娯楽に傾いた前作『火のいたずら』の反動なのか、終始写実的な筆致で芸妓たちとの淡い交情を描いた、渋い作品だった。
――鏡花全集の作品の並びは、そんな去嫌(同趣向の繰り返しを避ける連句のルール)の連続である。
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『きん稲』(大正十三年四月)
槇という男(あからさまに鏡花自身)が、関東大震災前に馴染みの芸妓を訪ねるところから物語がはじまる。
『仮宅話』よりもこちらの方が、小説らしい構成を備えている。とはいえ、鏡花崇拝者の集まりであった「九九九会」の会員に読ませるための作品ではないかと思えるほど、予備知識がなければ呑み込めない部分も多い。
『泉鏡花事典』の解題では理解のために、全集月報に掲載された久保田万太郎『きん稲』と山本武夫『九九九會と藤村家』を読むことを勧めている。
「きん稲」というのは木場にあった、文士仲間が隠れ家のように使っていた料理屋のことで、槇は馴染みの芸妓、芳乃を連れて食事に向かう。その途次、一機の飛行機が音もなく頭上を通過して、彼は「あわや吸上げられそう」な気持ちになるとともに、芳乃という女の実在をあらためて思い直すような、不思議な感慨にとらわれる。
――そして、震災から二ヶ月ほどが経った頃。
人通りの途絶えた夜更けの通りで、槇はうらぶれた姿の芳乃と、震災後初めて再会する。そのとき、「飛行機が一台、小さく一つ星の空を飛んだ」。
「私はゾッと」するのだが、あとで話を聞くと、芳乃は木場の空に迫った飛行機のことすら覚えがなかったという。
このころはまだ、見かけることが珍しかったであろう飛行機というものを、天変地異を予告する禍々しい彗星のようにみなした、他愛のない奇譚にも思える。けれども、まるで天からの顕現のように描かれたそれは、物語の仕掛けとしての役割を越えて、別世界の趨勢を告げる使者のようにも思えてくる。
本作が書かれた1924年とそれほどの時差もなく(1922年)発表されていたプルーストの『ソドムとゴモラ II』では、同じく新時代の象徴たる飛行機を目撃した主人公の「わたし」が突然の涙を流す場面が印象的だった。プルーストの場合は激情の裏に、飛行機事故で死んだ愛人の青年の影が込められていたのかもしれないが、『失われた時を求めて』全篇の終篇にあたる『見出された時』(1927)ではドイツの爆撃機がパリ空襲をもたらすことになり、飛行機への反応は予言的な役割も帯びている。
どこかしら共通する志を持った海の向こうの同時代の作家が、同じイメージを同様の表象として扱うといったシンクロニシティを、鏡花読書の途上に見いだす機会はけっして少なくはない。




