鏡花読書~女波、露宿、雨ばけ
『女波』(大正十二年七月)
深夜一時近くの逗子海岸。
五人の女たちが脱衣所で裸になると、海に浸かってはしゃぎはじめる。当地に巡業中の旅芸人の女たちである。彼女らが脱衣所に戻ってみると、脱いだ衣服がすべて盗まれている。村の若い衆がいたずらを仕掛けたらしい。
「いけどりだぞ」とはしゃぐ男たちに、女たちは貝や砂を投げつけると、宿までの夜道を裸で駈け出していく。
大正六年に書かれた中絶作『炎さばき』の二十~二十二章の内容をかなりそのままにリライトした作品(2025/08/27の日記の『炎さばき』のあらすじ⑤を参照)。
『炎さばき』を読んでいた読者には新味はないのだが、冒頭の、夜の海を女体に喩えた耽美的な文飾がすばらしい。
ちゃんとメモを取ってないから、どこで読んだか忘れてしまったのだが、番町の家を訪ねて鏡花のおしゃべりで煙に巻かれたという「サンデー毎日」の記者の回想録があった。この『女波』(「サンデー毎日」掲載)なんかは原稿依頼に来た記者を相手にした雑談のなかで、これこれの内容の短い話ならすぐに渡せますよ、ということになって書かれたのかもしれない(想像です)。
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『露宿』(大正十二年十月)
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/50787_44691.html
『露宿』は小説ではなく、随筆、記録文のたぐい。
作品の時系列でいえば『女波』と『雨ばけ』の間に位置する、関東大震災(1923年(大正十二年)9月1日11時58分)発生直後の様子を書きとめた文章である(岩波全集巻二十七収録)。
このタイミングで読まなければならないと思った。
余震が続き、火の手が迫るなか、鏡花夫妻と女中は近所の人たちとともに、皇居前の広場に避難して野宿の一夜を過ごす。地図で見ると、鏡花の番町の家から皇居前までは1.5kmほどである。
いつにないルポルタージュ的な文体に事態の切迫が感じられるのだが、やはり鏡花は鏡花で、眠れぬ夜闇には、避難者たちの風呂敷包みが怪物に見える怪奇な幻想が入り混じり、夜明けの光は普賢菩薩の影向にたとえられる。
避難所には水上さん(水上瀧太郎)、吉井勇、弴さん(里見弴)、八千代さん(岡田八千代)らが訪ねてきて、万ちやんとお京さん(久保田万太郎夫妻)、画伯(岡田三郎助、岡田八千代の夫)、小山内さん(小山内薫。岡田八千代の実兄)らの消息にも触れる。
あの大災害にもかかわらず、番町の家は奇跡的に無事だったためでもあるのだろうが、直前と直後の作品に、すぐに際だった変化が見られるわけではない。けれどもこの震災あたりを境に、発表される作品の分量は目に見えて減っていく。
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『雨ばけ』(大正十二年十一月)
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/48384_35153.html
中国を舞台にした奇譚。ある役人が茸と蝦蟇の化け物に遭遇する。
前年に書かれた『十三娘』と同じく、漢文による原典を鏡花流にリライトした作品。例によって(歌舞伎の時代物のように)、時代や風俗がごちゃ混ぜになった翻案小説である。内容そのものよりも、末尾で「私は此の話がすきである」と言い切って、ひたすら内面的な感覚世界に浸ろうとする、鏡花の心境が印象的に思える。
原話は段成式の『酉陽雑爼』にある話で、青空文庫でも読める岡本綺堂の『中国怪奇小説集』にも収録されている。
岡本綺堂『中国怪奇小説集』~酉陽雑爼(唐)「油売」
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1299_11895.html




