鏡花読書~磯あそび
『磯あそび』(大正十二年三月)
同輩が逗子に別荘を借りて、そのお披露目かたがた馴染みの芸妓たちを引き連れて磯あそびをすることになったのだが、一行のなかにかねてから執心の明石という女が混じっていたことに惹かれて、同行することになった弓浦という男の話。
先に上げた『身延の鶯』(大11)の主人公、志摩慶吉とほぼ同じ状況である。
自分も妻帯者だし、明石にも旦那がいるしで、思いは遂げられないと弓浦は半ば諦めてはいながらも執着を断ち切れず、浅瀬を渡るのに戸惑っている明石に向かって「おぶって上げよう」と申し出て、断られてしまう。それでも煮えきれない自分に愛想を尽かして、船遊びの同乗を断って近辺を散策する。
道すがら出会った子どもの手から、捕まえられた雀の子を譲り受けると、宿に戻って木の枝に留まらせ、母鳥を呼ぶ雀の声に母恋の情を募らせる。自分にも、女房にも、そして明石にも、もはや両親はいないのだと……。
〇
作者自身も「勝手にしろ、筆者は知らないから」と作中でつぶやいているとおり、ずいぶん身勝手な男の話である。まあ、誰しもそんな状況に陥ることはあるよと、許せてしまう範囲ではあるけれど。
明石を背負おうとした弓浦には煩悩の血が沸いて、それを「陽炎に(悪玉)の顔が出て来て」と草双紙趣味を持ち出すたとえは古くさいが、同じ情欲を「海牛の角でつゝいて擽るのがむず〳〵として、堪えられなかった」と、エロティックで面白い表現で言い直していたりもする。
それにしても、その情欲を母恋の情で冷ますというのはどんなものか。あまりにも特殊な性癖すぎてついていけない気がする。
なんだか、雀を溺愛するほほえましい話が唐突にエロティックな珍事と衝突する『二、三羽――十二、三羽』(大13)の逆順をたどったような話である……いや、執筆順でいえば、どう見ても出来が良いとは思えない『磯あそび』の構成を逆順にした『二、三羽――十二、三羽』が名品に化けた、ということか。小説の化学反応は、微妙かつ不可思議である。
大正期に入ると鏡花の文体はゆっくりと変化を遂げて、いつの間にか作者の声や主人公の内面描写が自然と挿入される、おだやかなものになっている。




