鏡花読書~妖魔の辻占、十三娘
『妖魔の辻占』(大正十一年一月)
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/48401_35162.html
時は文政元年(1818年)。羽黒の小法師と秋葉山の御行者という天狗がそれぞれ、京都の比野大納言資治の館と江戸城にいたずらを仕掛ける。天狗の魔力で攫った武士を貴族の館に、屑屋を江戸城に放りこむのだが、この珍事に対して貴族の館では一人の奥女中が冷静に対処し、一方の江戸城ではすわ合戦かという大騒動が持ち上がった。
この違いを見て天狗たちは、
「あゝ幕府の運命は、それであらかた知れた」
とうなずき合う。
京と江戸に同時発生した二つの怪異は、妖魔(天狗)たちが天下の命運を辻占にかけたものだった――というのが題名の由来。
連載中の『竜胆と撫子』に挿入されたかもしれない逸話から洩れたものだったのか。伝奇小説的な小品にすぎないが、辻占の材料にされた武士の主人の殿である松平大島守と大納言資治との関係など、活き活きとした細部が実に面白く、凡百の作家との格の違いを見せつける。
須永朝彦によると、『甲子夜話』から一部、材が取られているらしい(未確認)。
〇
『十三娘』(大正十一年十月)
巻頭にわずか百八文字からなる漢文が掲げられて「剣侠伝――原文」とある。
この短い漢文を、四百字詰め原稿用紙二十枚の短篇に語り直したのが本作。鏡花小説としては珍しい翻案小説だといえる。
『泉鏡花事典』には「原話が中国小説『剣侠伝』」としか書かれていないが、ネット検索は便利なもので、あれこれ探していると国立公文書館デジタルアーカイブで公開されている原書そのものにたどり着ける。
https://www.digital.archives.go.jp/item/619141.html
作者は段成式。中国、晩唐の小説家、詩人で、有名な随筆集『酉陽雑俎』の作者である。
……有名な、などといっても、そういえば『酉陽雑俎』って東洋文庫でタイトルを見かけるあれか、と思い出す程度なのだけれど、続けて検索すると『酉陽雑俎』から採られた話が含まれた、青空文庫にもある岡本綺堂の『中国怪奇小説集』にたどり着く。
『中国怪奇小説集』の「07 白猿伝・其他」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1301_11897.html
に含まれる『板橋三娘子』の、妖女が旅客を驢馬に変える話は、鏡花の『高野聖』の発想源になったらしきものだったりだとか、芋づる式に知識がつながっていくのが楽しい。
『泉鏡花事典』や綺堂は「小説」と言っているが、古い王朝時代の中国で言われていた「小説」は、当然ながら現在の小説とは異なる。もともとは志怪小説、志人小説と呼ばれたものである。
志怪(奇談怪談)、志人(人物逸話)について、見聞きしたことを短く記録したもので、筆者の創作や考え、情景描写などは含まれていない。この頃、小説とは、文字どおりまさに小さな一説にすぎないものだった。
志怪小説は、唐代には伝奇小説、宋から明代には(『三国志演義』をはじめとする四大奇書に代表される)白話小説に、そして近代・現代小説へと発展していくことになる。
『剣侠伝』は唐代の作とはいえ、文献蒐集的な姿勢で編まれたためなのか、簡素な叙述による志怪小説の形式で書かれているようだ。鏡花が掲げた原文にはヒロインの名さえ書かれていないのだが、須永朝彦によると十三娘の名は『剣侠伝』中の別篇「荊十三娘」から採られているのだそうで、なるほど原書11/21には「荊十三娘」の逸話が収められている(「荊」の字は草冠が刂にかからない表示不能な文字)。
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春秋戦国時代の中国。越の国。越王・勾践が、故事成語で有名な「臥薪嘗胆」の復讐を果たし終えた頃の話。越王は美貌の女剣士・十三娘の噂を聞き、余興に呼びよせる。
王に呼ばれた十三娘は、実家で飼っていた馬に乗って独り都を目指すのだが、ある峠を越えようとしたときのこと。馬が後ずさりして進まなくなったため、仕方なく徒歩で峠に向かう。そこには奇怪な老人がいて、生竹を怪力でたわませて十三娘の行く手を阻もうとする。老人の正体は年を経た白猿で、十三娘の剣技によって術を解かれると、眷属の猿たちとともに遠く姿を消した。
――こうしてあらすじを書いてみると『十三娘』はちょっとした話にすぎないのだが、鏡花による潤色が実に面白い。冒頭で中国の風俗はわからないなどとすっとぼけてからは、十三娘に「おとみさん」などとルビを振ったり、茶屋の親仁やら庚申塚やら見ざる聞かざる言わざるやら赤い襦袢やら、江戸風俗ごちゃまぜの破天荒な超訳っぷりになる。絵草紙、歌舞伎の通俗に落ちているのだが、そこはやはり鏡花で、独特の品と艶が備わっている。
冒頭近く、十三娘を描いた、この筆の冴えはどうだろう。
▶綾羅にだも耐えまじき深窓の姫の趣ある中に、色はおのずから婀娜である。……菊月の後の雛が、月に湯後の姿であった。◀
現代語訳。
▶身にまとった綾なす薄衣でさえ重く感じられるのではないかと、深窓の令嬢たる雰囲気を帯びてはいたが、そこに色香が滲みだしている。……まるで、九月の菊の節句に飾られた雛人形が、湯上がりに月の光を浴びた姿のようであった。◀
九月九日の重陽の節句に雛人形を飾る旧習(後の雛)に寄せて、鏡花には次の一句がある。
後の雛うしろ姿ぞ見られける 泉鏡花
簡素な素材を前にして、鏡花はどのように豊かな肉づけをして華麗な文飾を施すことでそれを鏡花小説たらしめるのか、親しい者だけに向けてマジックの種明かしをしてくれるような、愛読者へのご褒美のような短篇なのだった。




