今さらですが
丸戸史明+よむ、の『今さらですが、幼なじみを好きになってしまいました』。
https://note.com/saranami/m/mc2e1d995acf5
小説もあるけど、私はマンガのほうが読みやすい。
エロゲの名作といえばKeyブランドの『AIR』『CLANNAD』や、あるいは『マブラヴ オルタネイティヴ』なのだけれど、その後に登場した丸戸史明の『WHITE ALBUM2』(2010-2011)の衝撃はすさまじかった。ゲームをしていて、あんなに号泣し続けたことはありません。
名作をはるかに通り越した怪作といえばいいのか。アニメはしょぼかったけど。
新作の『今さらですが……』は、今のところリトル『WHITE ALBUM2』といった感触で、なかなかよいスタート。
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「ユリイカ」はもう長いこと買っていないけど、今月号の特集は作曲家・ボカロPの原口沙輔なんだな。
自分の頭のなかでずーっと鳴り続けているのが原口沙輔の『人マニア』で、最近の一時期は、なきその『いますぐ輪廻』に差し替わったのだが、すぐに『人マニア』に戻ってしまった。
原口沙輔は学園アイドルマスターの全体曲も書いていて、いずれはシンデレラガールズにおける田中秀和の立ち位置になるのか? 原口『初』はあきらかに田中『Star!!』『M@GIC☆』を意識して、それを越えようとしてるよなあ。
『Star!!』――いや、厳密にいえばそれ以前に『シャーロック・シェリンフォードのテーマ』――を耳にしてからの十年間は田中秀和を追いかけてばかりいた気がするのだが……。
もうあんな、リスナーにとって悲惨きわまりない逮捕劇などは繰り返されませんように。
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『人マニア』のカバーは月ノ美兎が有名だけれど、町田ちまのレパートリーでもあって、ミックス動画はショート動画しかリリースされていないものの、フルのカラオケ歌唱は3、4回ほど公開されている。非音楽的な異物感が売りのようなこの曲が、町田ちまにかかるとなめらかで音楽的な歌唱になるのがなんとも不思議である。
ここで疑問なのだけれど、この音楽的なるもの、つまり音楽性というものは、いったい何をして音楽的だ、音楽性がある、などと言えるのだろうか。
たとえば歌のうまさを評価する場合、鍛えた声に対して、リズムや音程を正確に保ちつつ、ブレスや装飾を適切に配するテクニックが数量化される。それがカラオケの採点や、試験やコンクールでの評価の基準になる。努力と練習で段階的に上を目指せるといったイメージである。
音楽性なるものは、これとはちょっと別の価値観として、数量化できないものとして存在する。
ある楽曲を個人的に解釈することで表現のポイントをマークして、そこを主張するために部分や全体の流れを組み立てるという行為だから、局所的にはパワーが抑えられたり、歪になったり、極端になったりもする。演奏家それぞれのなかに落とし込んで、それを形にする作業であって、客観評価が難しい。数量的な評価では、むしろ減点の対象にもなりうる。
コンクール型の演奏では、どの瞬間も常にいい音、正しい音が均等に鳴り響くのだけれど、音楽的演奏ではそれが不安定になる。
一方で聴いている側からすると、コンクール型の優れた演奏は、自分と同じ理想を体現している、あるいは努力の先にある目標として勇気づけられるものになる。一種のスポーツ的な快感をもたらす。
ところが優れた音楽的演奏は、常に自分とはかけ離れた手の届かないところにあって、異質な美の世界をかたちづくる。
音楽学校の学科の試験なんかで音楽的な解釈を挿んだ演奏をすると、審査の先生から、君ぃ、巨匠の真似をしちゃダメだよ、と叱られてしまう。
皆が同じ基準を持って評価されるのを良しとする国民性のゆえなのか(社会としてはそれがいいのかもしれないが)、国内オーケストラの音が上手いけれどなんだかつまらないのは、プロになってもコンクール型の良演を追求する傾向が強いからなのか……などと、海外のオケと聴き比べるたびに思ってしまうのだけれど。
クラシックに限らず最近の「歌みた」界隈は、コンクール型の歌の上手さを披露する場になっている気がするし、その方が即効性のある人気を得られると思うのだが、ひたすらストイックに音楽性を追求し続けるような町田ちまの歌いっぷりに、私は惹かれてしまう。
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さて、鏡花読書の当面の目標だった全集の小説篇読了は、後半最大の難関だった『竜胆と撫子』をようやく乗り越えた。あとは晩年の短い作品がほとんどを占める巻二十二~二十四の三冊。ようやく終わりが見えてきた、かな。




