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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~龍胆と撫子 続篇

龍胆(りんどう)撫子(なでしこ) 続篇』(大正十二年二月~九月)


 以前アップした『黒髪』の読書日記で挙げた図をもう一度持ち出してみると、



 黒髪    a~d   e~g, i   h

      ――――  ――   ―

竜胆と撫子     ――  ――― ――― ~~~~~~~

      ===============   続篇

       単行本『りんだうとなでしこ』

       (全集では『竜胆と撫子』)



 上図の『黒髪』は「良婦之友」、『竜胆と撫子』は「女性」という婦人雑誌にそれぞれ連載されていた。『続篇』にあたる部分は、連載時は続篇として仕切り直したわけではなく、間を空けずに「女性」誌上に続載されている。

 単行本『りんだうとなでしこ』が刊行されたのは大正十三年六月であって、雑誌連載は九ヶ月前に中断しているのだから、どうせ単行本を出すのならどうして『続篇』にあたる部分まで収録されなかったのだろう?

 ――そんな、誰もが抱いて当然な疑問は、『続篇』を読めばたちまち氷解する。

『続篇』の冒頭では、「女性」連載でしか『竜胆と撫子』を読んでいない読者のために、『黒髪』の a~d にあたる部分をあらためて、老車夫・平九郎の独り語りによって語り直しているのである。さらに e~g にあたる部分の事情も、『続篇』の後半を読めばなんとなく察せられるように配慮されている。「女性」連載分はそれだけで独立して読める一方で、『黒髪』との重なりが発生してしまうために、『続篇』部分は単行本からは除外されたのである。

 つまり『竜胆と撫子』には、単行本『りんだうとなでしこ』のかたちでまとめる方法と、「女性」に連載したものをそのまま収録した『竜胆と撫子(「女性」版)』としてまとめる方法との、二つの可能性が存在していた、ということになる。

 結果的に「女性」連載の『続篇』部分が切り捨てられ、再編成されたかたちで単行本化されたのは、その時点で鏡花に、連載を再開する意思がなくなっていたからなのだろう。


『龍胆と撫子 続篇』は単行本にも、春陽堂版全集(大14~昭2)にも収められず、昭和十七年に刊行された岩波版全集巻二十八に「未定稿」として初めて収録された。その時点で初めて『続篇』と呼ばれるようになったわけである。

 未定稿とされてはいるものの、他の全集収録作品と比べて本文が荒いわけではない。誤植なのか方言的な言い回しなのか、あるいは漢字の拾い間違いではないかなど、判断のつかない部分はいくつかあったが、自分が特に気になったのは、p161「通天儀(つうてんぎ)」は「渾天儀(こんてんぎ)」の間違いではないか、というくらい。



 さて、『龍胆と撫子』の終幕部分で読者をやきもきさせた、若き彫刻家・鶴樹(つるぎ)一雛(いっすう)と三葉子との出会いは、案外あっさりと果たされて、二人はすぐに、気の置けない友だちのような関係になる。鶴樹がそれ以上の、三葉子に恋心を抱く身になるまでに時間はかからなかったのだが、ここにおいて強力な恋のライバルが出現する。

 相手はなんと、三葉子の養父である銀山閣主人、雪松謙造と先妻との息子、雪松謙吉である。金沢の騎兵隊に所属していた謙吉は、片目を失明し片脚を引きずる体になって退役し、飯坂に戻ってきた。今は養香園(ようこうえん)という花畑の主人となっている。

 銀山閣の養女として扱われている三葉子とは義理の兄妹のような関係なのだが、おそらくは初対面で、女中たちは三葉子の「許婚(いいなずけ)」だと囃したてる。この謙吉という男の造形が面白い。良識人のようでありながら、突発的に人生を投げたような行動に走って周囲の度肝を抜く。まるで抜き身の刀のような性質で、片目をギラつかせる風貌もまた、人々の畏怖を招いている。三葉子は、そんな義兄に頼り切っているように見えて、鶴樹は心中穏やかではない(もっともそれは杞憂であったことが後にわかる)。

 一方の鶴樹はといえば、事情を聞いた銀山閣の人々に優しく迎えられ、彫刻家としての能力を示す機会もあって、紫研殿(しけんでん)という御堂に納める仏像を彫る仕事を得た。御堂は、使わずに溜めていた毛利織夫(もうりおりお)からの援助金の一部をあてて、三葉子が村から買い取ったものである。鶴樹は自分の師である毛利織夫が三葉子の援助者であることを隠しているから、仏像の完成と秘密の露見とともに二人が結ばれるハッピーエンドが訪れそうに思える。……

 ところが、ちらちらと見え隠れしていた火種が、一気に災厄を招くような事態が発生する。

 正篇の終わり近くでは、茂庭(もにわ)の茂十郎という近村の地主が三葉子への求婚の旗印を掲げて飯坂を訪れたことが語られたのだが、続篇でその茂十郎は宿や遊廓で大盤振る舞いをして、今や温泉地の名物男になっている。じつは茂十郎の正体は蛇松(じゃまつ)鱗五郎(りんごろう)という凶徒の頭であり、東京の玉菜苑で三葉子を強姦しかけた男、また黒川菖蒲(あやめ)の夫を名乗って鶴樹を強請(ゆす)った賊が変装した姿なのだった。茂十郎(鱗五郎)のもとには山窩の凶賊たちが次々に集結する。黒川菖蒲が率いる女賊の集団もその一味である。

 彼らの目的は、美しく成長した三葉子の操を奪い、ついでに美女として名高い銀山閣主人の後妻(三葉子の養母)のお(よし)も凌辱すること、そして飯坂の銀行を襲って現金を強奪することだった。

 ……この鱗五郎一味の犯行計画が結末を見せるまでが『続篇』では語られる。と同時に、片目の雪松謙吉は義母であるお芳を恋い慕っていて、許されない恋ゆえの煩悶が彼を捨て鉢にさせているという秘密も明かされる。



 これだけの物語が236ページという、長篇に値する長さのなかで語られるのだが、そのほとんどは『りんだうとなでしこ』の結末時点からの回想であって、なんと物語は正篇の終わりからおそらく数日ほどしか進んでいない。作中人物たちにとって盗賊団の正体は謎のままであるし、鶴樹と三葉子の関係はあいかわらずだし、謙吉と義母をめぐる新たな展開も加わるしで、まるで主要キャラクターが出揃った段階で長期連載が決まって、延々と巻数を重ねていく体制に入った連載漫画のような状況である。このまま連載が続いたならば、鏡花は『大菩薩峠』の中里介山のように、いつ果てるともしれない『竜胆と撫子』だけを延々と執筆する作家になっていたかもしれない。

 驚いたのは正篇の前半で語られた、天正の昔にある若殿が父親の後妻に恋患いをするという、まるで無意味に挿入されたかのようなエピソード(岩波全集巻二十一 P438~443)が、じつは片目の謙吉が義母に寄せる恋心の伏線になっていたことで、一見思いつくままにエピソードを連ねたようにも思える『竜胆と撫子』は、かなり周到な準備を経て書きはじめられたのだと想像できる。


 いや、準備などということばでは生ぬるいかもしれない。人妻への恋や、それにからんだ盗賊団の話といえば、鏡花がおそらく二十歳以前から取りかかっていた『他人(ひと)の妻』(一部が『怪語』というタイトルで残った最初期の散逸作品)の内容そのものであって、『竜胆と撫子』は四半世紀後にそれを完成させようという遠大な試みだとも解釈できる。

 人妻を愛するのは主人公ではなく、サブキャラクターである謙吉なのだから、テーマがずらされていると感じるかもしれない。しかし、よくよく考えれば、三葉子が必然的に結ばれるべきは「あしながおじさん」である毛利織夫であって、その弟子(あるいは実子)である鶴樹一雛が二人の関係に横恋慕をするという物語なのである。謙吉と義母の関係は、鶴樹の三葉子に対する思いを引き立てるための、対称的な図式的要素に過ぎない。

 また、雪松謙吉によって体現される目一つの神のモティーフは、これも初期作品の『五の君』(発表は明29)で扱われ、大正二年に書かれた中絶作『参宮日記』では、鼓を打つ女と無関係ではなさそうな、ニヒルな片目の軍人らしき男として復活する。さらには謙吉が片目を失う回想部分では、これも初期作品である『鐘声(しょうせい)夜半録(やはんろく)』(明27)のリブーテッド作品だともいえる『桜心中』(大正4)の一部設定が援用されるのだから、この時期の鏡花は、デビュー当時に思いついて充分に活用できなかったモティーフを別のかたちで復活させることに執心していたのかもしれない。


 こうして、大団円のカタルシスを欠いたままで中絶した『竜胆と撫子』は、以後何巻にも及ぶ展開が期待できる宙ぶらりんの状態を保ちながら、鏡花の伝奇作家的な側面を愛する読者の想像力の根源になり続けているのだし、さらには民俗学的要素を倍加させた昭和期の怪作『山海評判記』につながる、鏡花の最晩年を示唆する道標にもなっている。


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