鏡花読書~雪霊記事、雪霊続記
『雪霊記事』(大正十年四月)
『雪霊続記』(同)
青空文庫
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福井県の武生から虎杖を目指して、吹雪のなかを遭難しかけた「私」の体験談。
不思議な僧と尼が登場する前篇『雪霊記事』のミステリアスな雰囲気も捨てがたいが、大自然の脅威が超自然現象を現出させて「私」を甦らせる後篇『雪霊続記』が傑作である(舞台となった場所については「鏡花読書~鏡花小説の舞台と鷺の灯 2025/05/29」で書いた、鏡花の福井通過体験をご参照ください)。
さて、この連作は、しばらく続いた戯作調の語り口が一新されて、清冽で引き締まった文体で書かれている。語尾が「です・ます・あります」体なのも珍しい。吹雪の猛威を描くことに集中した内容である上に、クセの強い文体が抑制されているから、かえって鏡花本来の筆力がきわだって感じられる。
▶真俯向けに行く重い風の中を、背後からスッと軽く襲って、裾、頭をどッと可恐いものが引包むと思うと、ハッとひき息に成る時、さっと抜けて、目の前へ真白な大な輪の影が顕れます。とくるくると廻るのです。廻りながら輪を巻いて、巻き巻き巻込めると見ると、忽ち凄じい渦に成って、ひゅうと鳴りながら、舞上がって飛んで行く。……行くと否や、続いて背後から巻いて来ます。それが次第に激しく成って、六ツ四ツ数えて七ツ八ツ、身体の前後に列を作って巻いては飛び、巻いては飛びます。巌にも山にも砕けないで、皆北海の荒波の上へ馳るのです。◀(『雪霊記事』)
形のないものが形をなす一瞬を連続して捉えた、まるでハイスピード撮影の映像のような――プルーストが書いたユベール・ロベールの噴水(『ソドムとゴモラ I』)の細密描写を想起させる――みごとな描写に圧倒される。
会心の作、と言いたいのだが、難点がないわけではない。
『雪霊記事』と『雪霊続記』は、なぜか同時に別々の雑誌に発表されていて、題名が示すように筋のつながった連作には違いないのだが、筋がつながっているようでつながっていない。前篇は若いころに雪中で命を救われたお米という女性に対する殉情篇、後篇はかつて雪中行軍で遭難した中学生たちの霊に遭遇する怪異篇といったまとまりをなしていて、後篇で描かれた怪異を前に、お米とのいきさつは忘れられてしまう。
普通に考えれば前篇で示された主題が放棄されたような、理解不能な齟齬なのだけれど、主人公を臨死体験にまで追い詰めた原因が崇高な女性への思慕だというのはいかにも鏡花らしいと、愛読者的には許せてしまう難点ではある。
〇
終始明快な文章で書かれた読みやすい連作とはいえ、一つ、わからないことがあった。
吹雪のなかで遭難しかけた若いころの「私」は、お米から「硝子杯の白雪に鶏卵の黄味を溶かしたの」を貰って命を取り留める。「白雪」とは何か。まさか凍死しかけている人に卵をかけた雪を与えるはずはない。ひょっとして当時の酒の銘柄なのだろうか?
この「白雪」については幸いなことに「新編 泉鏡花集 第九巻」の解説で、大正十五年に往事を振り返った随筆『麻を刈る』に、元になった記述があると示されている。
▶水を……水をと唯(たゞ)云つたのに、山蔭に怪しき伏屋の茶店の、若き女房は、優しく砂糖を入れて硝子盃を与へた。藥師の化身の樣に思ふ。人の情は、時に、あはれなる旅人に惠まるゝ。若いものは活返つた。」◀(『麻を刈る』)
なんと、白雪とは砂糖のことで、『雪霊記事』の「私」は砂糖水に卵黄を溶いた、ミルク抜きミルクセーキのような飲み物に救われたらしい。砂糖も卵もごく普通に入手できる現在ではかえって想像がしにくい、特別な精力剤だったようだ。




