鏡花読書~手習、縁日商品
『手習』(大正八年九月)
ひと言で言えば、本作の発表当時は連載中だった『由縁の女』(大8.1-10.2)と、すぐ後に書くことになる『売色鴨南蛮』(大9.5)の副産物のような短篇である。
金沢から東京に出て来たものの、五ヶ月近く定職に就いていない青年が、不首尾に終わったらしき金沢の勧業博覧会の事後処理的な催しの事務のアルバイトをしている。日給と待遇の悪さに同輩たちは不満たらたらだが、彼だけは機嫌よく、丁寧に仕事をこなしている。なぜなら、恋しい人の名を書いてお金をもらえるのだから。
同じ会員が300口を申し込んでいれば、二枚目以降の299ページは番号の下に「仝」と書けば済むところを、彼は丁寧に「いろは」と書き込んでいる。この「いろは」というのが女の名前なのか、彼の妄想のなかの符丁のようなものなのか、わからない。彼女は幼いころからの憧れの対象で、いまでは他人の妻になっている。
憧れの女性は『由縁の女』のお楊そのものだし、アルバイトを終えて戻った寄宿先の状況は『売色鴨南蛮』と(つまり鏡花自身の上京後の放浪時代と)同じである。
無邪気な思い込みで幸せを感じる青年の純真を描いているのだが、それ以上の含みがあるわけでもなさそうだ。
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『縁日商品』(大正八年九月)
まずは現在とはまるで異なる銀座の風景に驚く。
当時の銀座には、京橋川、三十間堀川、楓川、八丁堀川といった川(運河)が流れていて、
▶色染めた燈は、唯家と水の漆絵の艶を増して、ヴェネチアの景色でも視るような◀
と、作中で描写されている。ここで描かれている京橋川は、1959年(昭和34年)に埋立てられて消滅したのだそうだ。
内容は具足町の清正公の縁日に出ていたのだという露店をめぐる「私」のルポルタージュとも言えるもの。舞台となる通りは、作中の時間から四年後に発生した関東大震災を経た今では跡形もない場所である。古地図と今の地図を重ねれば、京橋の国立映画アーカイブから東京駅の方へ少し戻った辺りか。
作中で触れた露店は、水機関の見世物、雑貨の糶売屋、バナナの棄売、金魚屋、植木屋、虫屋、瀬戸物屋、樟脳屋、風鈴売、針屋、歯磨屋、焼継屋、金剛砂の砥石売、合成金、粹島の棄売、飴屋、酸漿屋。粹島とは反物なのか、よくわからない。聞きながらメモを取ったのではないかと思われる物売りの口上が面白い。
同じ趣向の短篇『露肆』(明44)では、カメラが横移動するように露店の様子を描きながら物語の片鱗を見せたのだが、『縁日商品』では最後の一ページで思わせぶりな事件が発生する。
物語の結構はなくても、読んで楽しめる作品。




