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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~継三味線

継三味線(つぎじゃみせん)』(大正七年一月)


『新通夜物語』(大4)と同じく、鏡花の母方の家と能役者の家がからんだ、姻戚関係がわかりにくい前半に苦しめられる。

 母親を通じて江戸の血と能役者の家の血が流れているというのは鏡花のプライドでもあり、作家としての拠り所でもあったのだが、一方で亡母を通じての間接的な縁でしかなかったことは、内心では自覚するところがあったのではないか。そんな、潜在的に抱き続けたコンプレックスが、自分と能の家との関係を語るにあたって、必要以上の韜晦を交えずにはいられなくさせているのではないか。意地の悪い見かたではあるが、そんなふうにも思えている。


 鏡花と能役者の家との係わりを、実際の鏡花周辺の家系図から書きだしてみると、



     [葛野(かどの)大鼓(おおかわ)師] 

      中田万三郎

        |

      中田豊喜

        |(子六人・鏡花の伝記に係わるのは以下四人)

       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

[彫金師]  |   | [宝生流シテ方]    |   |

 清次――すず 金太郎(松本家に養子入) きん 孫惣――ちよ

    |     |                 |

   鏡花   松本(ながし)              娘二人



 ……と、別の家の人となった伯父の松本金太郎を介さなければつながらない関係でしかなかった。


 一方、『継三味線』の作中の人物関係はというと、



        万三郎[葛野(かどの)大鼓(おおかわ)師]

             |

       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

[鼓の売手] |      |      |

   嫁――男  夫――女     男      

     |     |        |

    娘二人  廉三郎→[親友]←半之助[宝生流能楽師]――お澄

            ↘     ↙        |

            (能楽師の同輩)      男の子

              芹生(せりゅう)千蔵



 ……と読みとったのだが、はっきりとは示されていない関係をあえて図示してみることで、主人公の廉三郎が鏡花の立ち位置だとして、能の家系と自身との関係を、より近しいものへ、じりじりと接近させていることがわかる。

 現在のような実証的な伝記研究が進んでいなかった昔の読者が本作を読むと、鏡花と能の家との関係が実際以上に直接的なものだと、簡単に誤解してしまったのではないだろうか。



 大きく二部からなる『継三味線』の、そんな前半で語られているのは、(こだま)という大鼓と、同じく(こだま)という名の芸妓の話である。

 能役者の半之助の家に、従兄(いとこ)で洋画家の廉三郎が訪ねてくる。二人が話題にしたのは、祖父の万三郎が遺した大鼓、谺のことだった。谺は、安土桃山時代の名工女内蔵(めくら)折居(おりい)の名作で、いったんは廉三郎の母に預けられたのだが、のちに半之助の父とは別の伯父の手に渡った。その伯父の没後、貧窮した未亡人は谺を売らざるを得ない事情に追いこまれている。従兄弟(いとこ)同士にはそれを買いとる財力もない。

 そんな二人が京都の請負師(うけおいし)に招かれて、春柳亭という妓楼での宴席に顔を出したときのこと。

 谺という、鼓と同じ名の美しい名妓に二人して惹かれるのだが、どうも谺は若手役者の半之助に気があるらしい。急病を装って半之助に媚態を見せつけたりする。そのとき目にした紅い帯締めすら、鼓の紅い調緒(しらべお)を思わせる。

 鼓の谺が売られることを諦めきれない廉三郎は半之助に、せめて芸妓の谺を自分に譲ってくれと持ちかける。そんな従兄の切願に、半之助は「()いとも」と快諾するのだった。


 ……以上前半。

 読みにくい上にばかばかしい話なので、どうせ芸妓の谺が鼓にからんだ怪異でも見せて終わるのではないかと、諦めながらページをめくったのだけれど……。

 なんと後半は笑わされっぱなしの怪作に化けてしまう。


 芸妓の谺を口説く権利を得た廉三郎は、待合で芸妓の谺を待っている。ところが、あらためて顔を合わせた谺は想像をはるかに超えたツンツンのお(きゃん)なのだった。鼓の谺の由来を語った廉三郎のことを、気障(きざ)だ、いけすかないと罵倒する。

 ああ気味が悪い、下締めのことだの、あなたが口にするとゾッとする、よしてちょうだい、芋虫が這うみたい。男というのは、そんなふやけた、ねばねばした口説き方をするもんじゃありません。ご飯粒がふやけてナメクジになったみたいだ。私のような格の高い芸妓を名指しするのは、もっとお金があるか、容姿のいい人がすることです。叔母がどうの、従姉妹がどうのと、言い草がみみっちい。……

 そんな、接客業にはあるまじき、いや、男を虫けら以下に貶める壮絶な罵詈雑言が、延々十ページほどにわたって、顔を青ざめさせた廉三郎にぶつけられる。


 師の尾崎紅葉を越える大家となり、師の没後、番町の家に転居してからも、


   としとし鏡花に硯を洗はせて

  若水に三斗ばかりも墨すらむ


 という紅葉自筆句の軸を床の間に飾って毎日拝んでいたらしい鏡花のマゾヒストっぷりが面目躍如する突然の嗜虐づくしに、読者としては苦笑いするしかない。


 さて、鼓どころではなくなった話はどう結ばれるのか。題名の「継三味線」とはいったいなんのことなのか。

 読み終わってみれば、身を張って芸妓の幸せを願う待合の主婦(おかみ)の采配も心に残る、さわやかな読後感の痛快ツンデレ芸者物語であったことに驚かされる。

 文芸というものが文字どおり文による語りの(アクロバット)を見せることであってもいいわけで、芸妓と鼓の名が同じなどという奇妙な趣向で女の意気というものを描ける作家は、母と同じ名だからと惹かれた芸者を妻にした、鏡花しかいないだろう。



 ところで……。

 鏡花の潔癖症に関して、豆腐という文字に腐の字があることを嫌って豆府と書かなければ気が済まなかったというエピソードがしばしば(Wikipediaの人物・逸話欄にさえ)紹介されているのだが、小説の部の五分の四ほどを読み進めた今に至っても、「豆府」などという表記は出現しない。

 今のところ「豆府」の表記を目にしたのは、ざっと目を通した俳句と、『寸情風土記』(大9.7)、『湯どうふ』(大13.2)という二篇の随筆においてだけである。

『比喩談』(明27)、『辰巳巷談』(明31)、『楊柳歌』(明43)、『三味線堀』(明43)、『新通夜物語』(大4)、『幻の絵馬』(大6)、そして本作『継三味線』(大7)に至るまで、初期から一貫して豆腐は豆腐と普通に表記されているのだから、鏡花の意に反した誤植というわけでもないようだ。それどころか、(勝手な推測に過ぎないのだが)泉下の紅葉から朱筆を入れられるだろう豆府などという表記を、俳句や随筆はともかく小説内で使うことには、逆に抵抗を感じたのではないだろうか。

 豆腐を豆府と書くレアケースを、いったい誰がどういうかたちで鏡花の習癖であるかのように喧伝したのか、作品を読めば一目瞭然の間違いをなぜ誰もが言い続けているのか、逆に気になってしまう。

(追記:「鏡花読書~朝湯」(2025/11/12)に、この「豆府」表記の件の続きを書いています。)


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