鏡花読書~卯辰新地、友染火鉢
『卯辰新地』(大正六年七月)
以前、一度だけ金沢を訪れたのは、別の用事で数日間、福井に滞在していた折に、半日ほどの空き時間ができたときだった。その頃、ちくま文庫の泉鏡花集成を読んでいる最中だったこともあって、泉鏡花記念館が開館したことをふと思い出し、なんの下調べもせず、とりあえず北陸本線に乗った。
金沢駅の改札を出て美しい駅を振り返りながら、行き当たりばったりでたどりついた兼六園を大急ぎでひとまわりしてから、目的の記念館を見学し終えて、あと一時間ほどの残り時間を気にしながら散歩していたのだけれど、夜宮の準備をしているような場所を覗いたりしているうちに、気づいたときにはべんがら塗りの出格子の紅い色が目に染みる、まるで別世界かと思える町並みを歩いていて、そこが、ひがし茶屋街(卯辰新地)だった。
記念館のそばにある鏡花の生家からは、浅野川を渡ってまもなくの場所なのに、当時は遊廓だったこの卯辰新地に触れた作品は少ない。鏡花が金沢で暮らしていた少年の頃は縁のなかった場所ゆえに、当然といえば当然なのだけれど。
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主人公は鏡花自身を思わせる、柳生銑三という男。
久しぶりに帰郷した金沢で、卯辰新地の妓楼から宿へと戻る道すがら、馴れた道だからと提灯の灯を消してしまったあとで、欄干のない危険な橋を渡らねばならないことに気づく。
這いつくばって橋を渡るべきか、暗闇のなかでまごついているところに、隣家の二階から女の声がかかった。声の主は踊りの師匠であり、かつ師団長の妾として地元で幅を利かせているお蘭という女で、先日、彼女が指導した都踊りの客席で、銑三が居眠りをしていたことへの怨みを連ねる。許しを乞うた銑三は、それと引き換えに少年の頃から慕っていた年上の女で、今は人妻となった人への秘密の恋を語り聞かせる。
話に感じ入ったお蘭が合図をすると、闇に潜んでいた壮士たちが姿を現した。彼女が銑三を護衛させるために雇った男たちである。銑三は地元で崇拝される伯爵夫人を侮辱した男として、知らないうちに命を狙われていたのだった。……
題名に反して卯辰新地を描いた作品ではない上に、いったい何を伝えたいのか、よくわからない。
けれども、本作発表の一年半後から連載が開始された『由縁の女』(大8.1-10.2)の、故郷で由縁のある女たちと再会しながら、少年の頃からの崇拝の対象だったお楊を追い求め、一方では金沢を侮辱する姦通詩人として壮士たちから命を狙われるという大筋を思い出せば、本作が大長編に取りかかる前の準備運動であることは、すぐに察しがつく。
実際のところ『由縁の女』は、初期から書き継がれてきた一連の墓参小説や、あるいは帰郷の体験を語った『月夜』(明44)などを書くことで、早くから試作されていたともいえるわけで、鏡花小説には執筆の時系列を逆順にたどらなければ意義を解しにくい作品もある。
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『友染火鉢』(大正七年二月)
1917年(大正6年)の10月1日に東京湾岸を襲った、台風による高潮災害(関東大水害とも言われる)に材を取った作品。
『芍薬の歌』(大7.7~12.7)でも水害が語られるが、こちらは上の洪水ではないと鏡花自身が連載紙上に但し書きをしていたと思う。鏡花は作中に多くの天変地異を取り入れているが、小説での扱いは災害そのものを描くわけではなく、別の何かを表現するためにしか使っていないようだ。本作で描かれるのは、浸水した通りを漕ぎ行く船にたたずむ令嬢、梨映の水ぎわだった姿である。
梨映は画壇の立女形ともいうべき新進気鋭の女流画家。
水害で避難生活を送る彼女の若く凜とした姿と恋の一場面を、狂言作者らしき草紙楼という男と、かつて劇場に勤めていた老人、三九の会話によってスケッチする。
全集などの解説を読むと、『卯辰新地』の場合と同じく、後年の『白花の朝顔』(昭7)、『薄紅梅』(昭12)につながる(あるいはその習作となる)作品らしいのだが、私はまだその二作を読んでいないので、今のところたんなる素描にしか思えない短篇である。
この時期の鏡花小説は停滞期と言う向きもあり、たしかに、次の変容への下準備だと思える作品も少なくない。




