鏡花読書~峰茶屋心中
『峰茶屋心中』(大正六年四月)
これは、鏡花流に完成された一種の心理小説なのだと思う。あのとき、ああすればよかったのに、なぜあんなことをしてしまったのか、という痛切な後悔の念のもとで、その償いのための困難な道程が、松山樫吉という三十一歳の男の口から語られる。
心のドラマであるには違いないのだが、かといって樫吉の内的独白に寄り添うわけではない。形のない心象が目に見える具象に置き換えられ、意識下に隠された不気味なものが怪異として現前化する。それらに対処する主人公の言動がストーリーとなる。目を開いて見る夢の世界である。
このような方法で書かれた物語は、世間がシュルレアリスムの文学と名づけたものに近しい。が、もちろん鏡花はその基盤となったフロイトの理論や海外で起こった運動を知ったわけではない。時流に背を向けた、独自の創作姿勢を突き詰めた結果、シュルレアリストたちとほぼ同じ成果にたどり着いてしまったようだ。
今は鉄道管理局に勤務する松山樫吉が、十年前に鉄道学校に通っていたときのこと。なんとなくぶらついていた東京下谷の三味線堀のあたりにある魚屋の前で、突然落ちてきた刺身皿が頬をかすめる。あわや大けがという事故だったにもかかわらず、その瞬間に嗅いだなまぐさい臭いが芳香のように思われて、数日後にまたその場所へと引き寄せられる。
ついふらふらと顔を覗かせた魚屋の店内には、出刃包丁で貝をさばく小僧がいて、帳場には美しい娘がいた。娘の顔を見てどぎまぎした彼は、とっさに、誰々の家を訪ねたいのだがと、適当な苗字を口にする。
偶然にも、その苗字の家が近所の床屋の裏あたりにあって、小僧が店先に出てその家を教える。それを娘が訂正して、あそこだと指さす。小僧もまた思い直してその家を指そうとしたとき、持ち上げた手に握りっぱなしの包丁が娘の喉を突き刺す。
娘は倒れ、辺りは血の海となった。騒ぎが大きくなるなかで樫吉は恐怖に駆られ、その場を逃げだしてしまう。以来、一日たりとて彼は、最後の一瞬に目が合った娘の顔を忘れたことがなかった。
……これだけでも充分に切れ味鋭い、シュールな小品となりうる話だが、たんなる発端にすぎない。
十年後に樫吉が、神戸にある摩耶山山上にある忉利天上寺を参詣する参道で遭遇する数々の怪奇な難行を乗り越えることで、過去のトラウマになったその事件を克服するための、そして、今では摩耶夫人に重ねるほどに恋慕の対象となったその娘の許しを乞うための、贖罪の登山がはじまる……。
その試練というもののとんでもなさはといえば、「今日の人権擁護の見地に照らして不当・不適当と思われる……」というものばかりの凄まじいものだから、あえてここに書き抜いて配慮の労を執りたくはない。一つだけ、主人公に与えられた最後の試練を挙げれば、彼は癩病の乞食女の喉首の腫れ物に溜まった「末黒に中のどろどろと黄を帯びた、粒の累る可恐しい鱗」だとされる膿をすすることになるのである。
名作と呼ばれる鏡花小説は、たとえ悲劇であってもなんらかの痛快をもった結末を迎えるものがほとんどであるが、『峰茶屋心中』の読書にはひたすら悪夢の塊で殴られ続けるような鈍痛がともなう。
異色の作家である鏡花にしても異彩を放つ、とんでもない異形の作品を読んでしまったという読後感をずっと引きずることになりそうである。
〇
摩耶山忉利天上寺には、鏡花が生涯崇拝した摩耶夫人を祀る堂がある。知人からそれを聞いた鏡花は、強烈な憧憬を抱いたらしい。とはいえ、実際に天上寺を訪れる機会はなく、知人の話や『大日本地名辞書』、『摂津名所図会』、摩耶颪(いわゆる六甲おろしの地域的な呼び名)に関する報道記事などの資料を頼りに本作を書いたそうだ(『新編泉鏡花集 第六巻』解説による)。
前年に別の雑誌に発表した『摩耶山記』という習作(全集、選集のたぐいには収録されていないようだ)を経て書き直された作品であることからも、入念な執筆過程がうかがえる。摩耶夫人像に加えて、不動瀧、京丸牡丹、龍燈の伝説、佐竹屋敷の七つ蔵、諏訪神社のビャクダンなど、民俗学や古風俗の研究対象になるようなイメージの連鎖も豊富に散りばめられる。想像を広げる余地の大きな下地の上に、古風な修辞を重畳させた重厚な筆致が揮われて、穏やかであったはずの参道はすっかり、おどろおどろしい魔所に塗り替えられた。
天上寺は昭和五十一年の大火で、山門を除いたほぼすべてが焼失して、鏡花が想い描いたものと現在の姿は同じではないのだが、焼失前に撮影された俯瞰風景にあっけなくさらされた参道のさまを見るかぎり、小説中に描かれたそれは鏡花が創造し直した異世界にほかならない。




