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98 移ろいと月光と、

この女に辛辣な事を言ってしまうのは昔の自分を思い出すからだ。とろくさい女の態度に深く嘆息したい気分だったが、女が本当に顔を青褪めて混乱していたので溜飲は下がった。男は首を少し左右に振り、喧騒前に腰かけていた倒木にまた座った。


「治療が気に食わないようだからお帰り願っただけだ。なぁ、ここに座れよ。聞いてなかったみたいだからもう一回言っとくが、理力ってのは有限なんだ。それはお前の命で、生命力で、気力で、精力が元となっているものなんだ。言い方はなんでもいい。今わからないと思ってるだろ。目に見えないものを理解するのは難しい、それはわかる。でも理力は目に見える。光の粒が術者の意のままに浮遊し、人体や空間に作用する。神秘のちからだ。もっとわかりやすく言ってやる、理力を使えばお前の寿命は短くなる。わかったら精々惜しめ。安売りするな」


一息に言い終えても心は一向に満たされなかった。篝火の真上を覆う夜空が逆さの海のように広がる。気持ちの暗澹さでいえばこちらの方が勝っているくらいだった。

女はもう一度助祭が去った方角に顔を向ける。祈りを捧げるように手を組んで、自信なさげに首を折る。


「寿命…?……でもあの……それはおかしいのではないですか? 教会には理術を使う方はたくさん……いるのでしょう? 龍下だって、そしたらもう……」

「人が持ってる理力量には差がある。龍下の杯には目一杯の酒が入っていても多くの者はそうであるとは限らない」

「理力を使って欲しくないっていう…ことですよね?……それは、なんとなくわかりました……でも、あなたの薬……高価なものじゃないのですか? だって、そんなに綺麗なもの私は初めてみました……それが薬なんですか…? だとしたらそんなに大切なものを使ってしまうより私が理力を使った方がいいと思うのですが……だって私はその為に呼ばれたんです。……消費とか寿命とか、わかりません。見えませんし、どちらにせよ私は明日を保証されていません。誰しも……私みたいな使い物にならないものを引き取ってくださったのですから、どちらかといえば教会にはお返しをしないといけないくらいで………………あ! そうしたらこの私にだって意味があるっていうことになりませんか?」

「……随分口が回るようになったじゃないか」


人が変わったような口ぶりだった。道端で菓子をねだる童のように前髪を雑に束ね、しかしそれも忘却し、自分の気持ちを引っ繰り返して振っている。男には痛いほどわかった。


「だって私、貴方の手当てを見ていて思ったんです……血はこわいし、臭いも慣れない。他人の手のひらから枝を抜くなんて無理だって……でも理力を使えば、あの傷を塞ぐことができるんですよね…? 私にできる。できる事がある……それって初めてのことだって気づいたんです」


ハリエットは自分の気持ちを言葉にしながら、少しずつ自身が整い、変容していくのを感じていた。この旅に加わってから、自分は自分じゃなくなっていた。もしかしたらぱきりと殻を割って生まれ直しているのかも知れない。そしたらこれは二度目の人生という事になるのだろうか。ハリエットはこれまで、後退りして、逃げて、見て見ぬふりをしてきた。すがって、たよって、責任をおしつけてきた。

そういった中核を構成していた条件反射的な受動とは別に、外側に向けて働きかける感情が生まれていた。


理術師として力を貸してほしいと依頼された時は恐怖の方が勝っていた。

でも裏返せば「私」を望まれているのだ。私を知って、話しかけてくれている。何を話しているかわからなくて、早くて、追いつけなくても、こうしてそばに立っていると、傍から見ればどう見える? まるで自分が"輪"の中に入れてもらえているみたいだ。教会で寝食を共にする修道女、神父、従者、司祭さま。彼らはいつも同じ世界に住んでいるのに、いつも自分だけが別の世界の住人だった。だけど今は、少し違う。いや、大きく違う。


(頼りにされて嬉しい、必要とされて嬉しい……いつから? 御白さまと出逢ってから…?)


集団の中の影に潜んでいた「私」を、ここではこんなにも照らしてくれる。


「人の役に立てるからか、それとも……見てもらえるからか」

「! そうです。はい、きっとそうです。両方、ぜんぶです」


男は目を閉じた。


ハリエットは黙ってしまった男を残念に思った。もっと話したい。この人と話していると自分の事がわかる。あれほど口も聞きたくないと思っていたのに、今は何か言って欲しくてたまらなかった。人と仲良くなりたい、話しかける相手がほしい。そういうのなんて言った? 黙ってる。じゃあ勝手に話してしまおう。どんな話をどのくらい深くまで話せばいいのかわからないけど。喋る速度もわからなくて、口が渇くけれど、夢のような心地が上回った。






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