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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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93/415

93 祈りと月光と、

「教職者各人の理力の有無・練度には怒りを孕んだ隔たりがある。私の所にはいわゆる陳情書を持った若者がよく来る。理力なしの我々は同じ神を信じる仲間にも関わらず理力を富に扱える者から排斥されていると、昂りを理性で抑えることのできる者たちが訴える。強訴寸前の声だ。私の手の届く範囲であれば薪を湿らせ、火の勢いを消すことは容易い。けれど今日のお前の指示は仲立ちになってやるという気概もなく、他者に対しも自分の職分に対しても無関心だった。それは危険な素質にほかならない。その堕落によって害されたのは、敬愛をもって他に尽くす慎み深い者たちだ。野に横たわる姿を見ろ。これが龍下に随行する事を許された一行のあるべき姿か」


こうしたシモンの考えは教会主義の時代に普遍的に存在する幻想的分断を回避しようとする決意によって仕上げられていた。

共同社会を破壊するあらゆる非生産な行為は廃止されるべきであり、性別や年齢人種に関わらず各人には全面的に発達した素質をあらゆる方面に伸ばす機会を与えねばならないと考え、行動にうつしている。理力も素質のひとつであり、個性として評価するがそれ以上でも以下でもない。しかし理力にこだわる余り非平和的な道を進んでしまうのは、他者の意見を押さえつけたい者のすることであり、シモンはそれらを一切肯定しない。文明は暴力によって発展すべきではないと人々に説き、できる限り平和的な方法で指導をしていた。


しかしシモンの指導を受けていたはずのラヒムは階級の中に落ち着き、自身を解放する火を燃やすことは無かった。判断するには時期尚早であるとはいえ、次世代を担う若い男の発展と強化がシモンの想定する"要求"に達していないことは失敗といえた。


「お前は思想と行動を統一物に溶け込ませようと努力することを怠った。人身に損害を与えたことはその立証であり、看過することはできない。今回の事はお前の上役であるロジェに責任を取らせる」

「はい」

「未知を怖れることは罪ではない。しかし何も成さず生き永らえるのは罪であると心得よ」

「はい。私の思慮に欠けた、よく考えずに下した指示によって多くの者が負傷し、物資を損ない、時間を浪費させました。また行程も狂わせかねない惨事を引き起こすところでもございました。すべては人身の安全を考えなかった私の責任です。面目次第もございません」


もし自分がすべてを冷静に考えぬくことができていれば回避できた問題だとラヒムは自覚していた。

人は精神的重圧による極度の緊張を強いられると、長い圧力の出口を怒りの感情につなげる。そういった怒りに追い詰められた者は、物や、原因を作った人などに怒りの矛先を転化して向けることがある。

しかしラヒムはこれらが自らが招いた失敗だとわかっていた。事故や事件が起こる前には必ず前兆がある。各班を前に必要事項を伝達していた時、こちらを見る様々な職位の者たちはどんな顔をしているか見ていなかった。彼らは行動を共にする者たちを仲間と見なしている、一団体として調和し、すべては上手くいくと思い込んでいた。ぶつけ合っていた思想があることは認知していても、暴発は起こりはしないと高を括っていた。


シモンはよき教育者だ。どうあるべきかを教えてくれている。このまま放って置くよりも、手を差し伸べる方を選んでくれた。それがわかるからこそ、ラヒムは自分自身の問題点に気づかなければならない。置き忘れた心を探さなければならない。



「怒って…いるのですか」



その女の声は二人のすぐそばで響いたが、角灯に群がる蛾や羽虫の下で静かに佇んでいるような、他者を脅かす不快さがあった。


声は一語も発していなかったハリエットのものだった。シモンを射るように見つめている。

いつの間に体を起こしたのかわからない。ラヒムもシモンも虚をつかれ言葉に詰まった。女の事は意識の外にあった。女は乱れた髪をそのままに、向かい合う男たちの間に横たわる闇を生気のない白い顔で見つめている。目は合わない。その焦点の合わぬ目がいずこを見定めているのかわからなかった。

いかにも柔らかな面差しに似合わぬ色の無い目は、シモンが答えた言葉により更に悲愴に歪められた。


「……怒ってはいない」

「嘘です! 怒っていらっしゃるのです! やめてください! やめてください! やめてください! 怒らないで、怒らないで、怒らないで」

「どうしたというのだ!」


シモンの圧のかかった声を押しのけるように、突然大声を出したハリエットは錯乱して岩の陰に逃避する。

周囲の怪我人たちも何事かと体を起こす。けれど声を掛けるものも、近づく者もいない。ラヒムは息が詰まるような心地がしていた。細い女の肩越しに祈りの言葉が聴こえる。血走ったように戦慄し、頭蓋骨に食い込む指は小刻みに揺れている。

気がつくとシモンは立ち上がっていた。拳を握りしめて立ち尽くしていた。思いつめた女の感情を宥めようと手立てを考えたが動けなかった。


「我ら身を挺して闇を払わん。求め続けよ。探し続けよ。我ら迷いし子の苦難を晴らし、耐え忍ぶ声をお聞きください。神よ………神よ…怒らないで、怒らないで……怒らないでください……」





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