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92 叱責と月光と、

シモンはアクエレイル最北に位置するガブリオラ教会の司祭であった。

アクエレイルを取り巻く貧困問題という負の連鎖を断ち切るため、各教区における貧弱者の把握と救済を目的とした組織を設立。配下の教職者とともに足を使った人口調査をおこなった。主導していたシモンは物事を包摂することに長けており、長い司祭歴と社交的な性格から得た豊富な人脈を活用して複数の富者を巻き込んで資金を調達。軋轢を生まない為に富者にも利潤がまわるように立ち回った。富者という大木の幹と細い枝である貧者を繋ぎ、末端から幹へ、幹から末端へと、清潔な金の流れを作り上げた。率先して善行を積む彼は市民の人気も高く、アクエレイルを出立する一行の中で龍下に次ぐ人気を得ていた。


ラヒムは助祭という司祭を補助する職位についている。かつてはガブリオラ教会でシモンの下で祈りを捧げていた日々があった。少し言葉が気安いのはシモンが許しているからに過ぎない。


教会のあるリララフル教区はアクエレイル最北に位置する。武器武具の修復や美術工芸を扱う工房が連なる歴史の長い職人街が中心にあったが、高度な技術は各工房の中でのみ継承され、時には後継がおらず、名乗りをあげたものがいても成熟するまでに挫折し、技術は途絶することもしばしば有った。そればかりかたえず燃え続ける炉の灰や煙による環境問題、整形する際の打撃音による近隣への騒音問題など、工房は毛嫌いされ都市から排斥しようとする運動も起こった。


高度な技術をもつ技工師と技術の保護のため、シモンは教区を大幅に作り替えて、技工師たちが後継を指導するための学術工房も立ちあげた。明日の命も無い浮浪者を積極的に採用した結果、路地裏に隠れ住んでいた者たちは姿を消し、あたりに広がるすえた臭いもしなくなった。


アクエレイルの華美を極めた性質は技工師たちによって無事確立され、今に続く。貧困者の減少にも一役買ったシモンの功績は讃えられ、大主教に推す声もあがり始めている。ずけずけと物を言う配慮に欠けた中年男そのものではあったが、顔立ちは良く、老いて重ねる色気があった。


ラヒムは苔岩のそばの修道服の色をした小山を見下ろし、それが誰であるか遅れて思い至った。


「ハリエット殿…どうしてこちらに」


途中まで口にしてから頭を振って、おもむろに彼女のそばに寄った。居住まいを正し、岩に貼りつくように縮こまる背中に優しく声を掛ける。


「失言でした。緊急事態とはいえ、放っておいた事に変わりはありません。大変申し訳ありませんでした。治療を手伝ってくださったこと御礼申し上げます」


皺の寄った緑の修道服がぴくりと動いた。頭を抱くように回されている腕には血がついており、時の経過で肌の模様のように貼りついている。下衣の裾も変色しており、天幕の内側に劣らず、外も相当の酷務だったことが窺えた。ラヒムが声をかけても彼女は顔をあげない。激怒しているのかも知れず沈黙を受容していたが、代わりにシモンが沈黙を破った。


「それどころではないぞ。このお嬢ちゃんの理力は豊富でな。そのおかげでこの辺りの軽症者は軒並み治療できた。あ、そうか理力疲れか? そうか、そうか。帯持ちでも疲れはするな、わかるぞ」

「は? 帯持ち…!? そんな……この、……彼女が? 帯持ちなのですか?」

「なんだその驚き様は。お前たちが天幕の中しか見ない間、ここは彼女が支えたのだぞ。うちの教会に欲しいくらいだ。な。ん? なんだ、寝てしまったのか? どこの教区のものか知りたかったのだが」

「……………」


――真っ白い服を着せられた子供の世話係、気弱な修道女


(……数少ない帯持ちをたかが子供の世話係に? 話が変わってくる)


ラヒムの脳裏に先程聞いた不穏な思想が思い浮かんだ。

帯持ちは、豊富な理力を身に宿すものが理術を発動する時に光の帯を視覚的にまとう者達を指す言葉だ。空中に浮かぶ神秘的な呪文の帯は限られた者にしか発現せず、神に愛された証として知られていた。


「なんだ怖い顔をして」


ひとつ大きく息を吸いこんで鼻から吐く。それからラヒムは意を決して口にした。


「この方はあの白馬車の名花の世話係なのです。あの花の種姓を問う声もあることを、司祭は」


ご存知ですか、と最後まで言葉にはならなかった。

シモンの目元からさっと愛想が抜け落ちるのを見てラヒムは息を飲む。草生の上に座り、立て膝の上に肘を置く泰然としたシモンの姿は帳を遠ざける。ラヒムは彼を真正面から見据えるために体を向けた。表情は硬く、骨ばった手の甲に入る四つの筋が浮き立つのを見たラヒムは頭に土を擦りつけ、視界も生存権も何もかも放棄して恭順の意をとった。


「出過ぎたことを申しました」

「お前はまずもって教職者を危険にさらした事を悔い改めるべきだと思うが、違うか?」

「仰る通りです」


闇の中から伸びてきた荊に体中を縛り上げられる。風の一撫ですらもラヒムの身を切るように鋭く、汗ばんだ腋を急速に冷やしていく。飲み込んだ唾が逆流する感覚が鼻の奥にあっても、鼻をすする音ひとつ立てなかった。


「指揮は各班に主導させていたと聞いたが、どうしてお前がついていかなかった。肉食獣の繁殖期であることは自明のこと、しかしもっと怖ろしいのは誦経者、侍者、退魔師、読師の玉石同架をひとくくりにした事だ。おや、顔に不満が漲るのを見て取れる。平生からさかしい口をきくお前は「ならん」と言うべきだった。しかしそうしなかった」


肯定を示すことしかしなくなったラヒムにシモンは更に言葉を重ねる。






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