91 粉飾と月光と、
「お偉方にはわからないと思うけどね、今日のような事はなくならない。俺たちみたいな伝統からあぶれた者は必ず出るんだ。けれど重用されるのは理力量の多い、上等な理術使いだけだ。品の良いものだけ集めて崇めてるのはそうするのが分かりやすいからだ。例えば教会といえば龍下や大主教だろう。彼らが表に出て手を振っていれば民衆は安心する。彼らは考えもつかないような術を行使してこの国に加護を与えている。だから罪から逃れていられるって庶民は信じている。だけど実際それを見た者がどれだけいるのか」
治療道具の散らばった台座の向こうに俯く頭が二つ見えた。ラヒムは足元に落ちていた包帯を拾い上げながら、危うい会話に興じている二人の所属を確かめる方法を思案していた。危機を脱したあとの談話にしては趣がない。こんな所でする会話でもなかった。思想は制御しないにしても身を包む服の色は意識して欲しい。ラヒムは眉を顰める。
傾いた眼鏡のツルを直して、彼らを視界から外す。天幕の端に膝をつくと固定している石をどかして幕をめくりあげる。外側に這い出ると月明かりがラヒムを照らした。
ラヒムはしゃがんだまま、物陰の裏でじっとしていた。会話はまだ聞こえている。
「それはお得意の"うしなわれた歴史"の話か? 俺たちみたいな"理力なし"が高位にあがることを望んでるってことか? お前の言うことは面白いとは思うけどね、俺は磨かれた宝石も好きだよ。それに理力量の比較をしてるなら、お前は反対側で対立を煽っているように見える。平和を崩すのはいつでもやっかみだよ」
「平和とひとくちに言うが、中身はなんだ? 無償性の奉仕の上に成り立つもののことを言わないでくれよ。馬車の中の、真っ白い服を着せられた子供を見ただろ。白は教会の色だぞ。あの白は神秘性を押し付けてるんだ。上が言ってるんだぞ、あんな子供が神秘の存在だってな。それがいかにも気味が悪い。百歩譲ってただの象徴だとするさ。女を芯に据えてすることといえばひとつだろ。本来の女の使い方だ。豪華な衣装を与えるのは無害を装っているだけで、次世代を産む胎を囲ってると隠したいだけだと思わないか。華美に飾られ、連れ回されている現状がそれこそ本質の露呈に見えてこないか。そんなのが上にいるならこの国は笑いの種だよ」
「龍下も大主教も、人柄はわからないけどそんなに狂った感性の持ち主には思えないよ。お前が狂帝にしたいだけじゃないのか。まだ十か、そのくらいの子だろう」
「もう十だ。何が何でもお前に左袒して欲しいわけじゃない。でもな、いかにも様式ばった粉飾は、老人の執着に感じて仕方がないんだ。そうさ直感的だよ、証明はできない。でもあの子供が龍下と一緒にいるのを見たろう。顔を隠して名乗らせもしない。だから俺は権威というものにほとほと嫌気がさしているという話に」
「逆戻りする、そうだな? 微笑を含んでものを言うな。悪い癖だ」
「留意するが元からこの顔だ」
「俺はお前の読者じゃないんだぞ先生」
「けどこうして料理は食べてくれる」
「何でも食べないと上手い物は作れない」
「悪食というわけか、どぶ川で生まれた俺たちにはおあつらえ向きだな」
龍下を老人とのたまった侮蔑にラヒムは嫌悪感を浮かべて立ち去った。もっと早くこうしていれば良かったと後悔していた。天幕の内側にいた男がラヒムが去った方向を見つめていたことは知らない。
「最後まで聞いてくれたようだ。潔癖というのは理想的な入れ物だな」
◆
「安静にしておけば明日には自力で動けるようになるだろう。お前はしばらく荷台だぞ。お前も、こいつを馬には乗せるなよ。な。腹に響くと傷が開くぞ。まぁまた縫ってやるがな」
大きな手がばしんと背中を張る。勢いの良さに咳き込んだ男の頭には包帯が巻かれていたが、皮の厚い武骨な手によって施されたようには思えないほど整っていた。豪快な男の丁寧な仕事ぶりが窺える。男の周囲にいた怪我人たちも笑顔を見せて口々に礼を言った。
片手を振って「いい、いい」と快活に笑って見せる男は、非情な世界で絶望に身を落ち込んだ者を掴み上げてしまえると他者に思わせる活動力に満ちていた。
男達は苔むした岩のまわりに腰を落ち着けていた。街明かりは遠く、手元にある角灯のつたない灯りだけが一区画を浮かび上がらせている。時代から置き忘れられたように街より先に訪れた夜のなかで大柄な男は立ち上がってひとしきり辺りを見回した。複数の職位のものたちを複合させた狩猟班の一部は医療班の天幕で朝を迎えることになるだろう。痛みが落ち着くと、あるいはもっと前から感じていた空腹がふいと折れ曲がって戻ってくる。夕食は"無事戻ってこれた狩猟班"が用意している。こっちまで持ってくるなんて気は利かない。
「お嬢ちゃん。まだ元気があるか。もうひと頑張りといこうじゃないか。だめか? なぁ。どうだ。腹が減ったんじゃないか。飯を取りに行こう。な、お嬢ちゃんどうだ」
お嬢ちゃん―――という呼称が自分に向けられたものだとわかっていたハリエットだったが返事はできなかった。疲れ切っていたからだった。歩けといわれてももう無理だった。岩のように、岩の隣で丸まっていた。
「どうした、お嬢ちゃん。丸まって。どこか痛いのか? ん? 尻か?」
「シモン司祭? こちらにいらっしゃったのですか。街にご宿泊ではないのですか」
「ん? おぉラヒム! ラヒム助祭、久しいな。ロジェは息災か」
「息災も何も。出立の折にお声がけしたでしょう。お忘れにならないでください」
「おぉそうだった。そうだった」




