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88/412

88 惨状と月光と、

「いや? 俺が勝手にそう呼んでいるだけだ! なんとも可愛らしいからな!」

「わかります! あれほど可愛らしくて尊い方を見たことがありません! あの方は天使なのです!」


両手をからめてうっとりと夜空を見つめる女は危険な存在には見えない。痩躯はいかにも弱弱しく、慣れきった平伏も、容易く口にする謝罪も、孤児あがりの修道女によくある性質だ。ラヒムはそういった性格は嫌悪していたが、女が確かに龍下が帯同させているあの純白の少女の世話をしているのを見ていた。手荷物も何もなく、一見武器は持っていない。あとは理力を使えるかを確かめるべきだが、長司祭と笑いあっているところを見ると、これ以上問い詰める気もなくなってくる。


助祭は今日一日の締めくくりに訳の分からない女と出逢った記憶を薄めるべく会話を早々に切り上げることにした。


「水浴と寝床、後は食事。諸々手配しますので一先ず我々の天幕に来るように」

「はい! ありがとうございます…!」


何度も頭を下げる修道女をほとんど見ずに踵を返したラヒムは、前方―――森の中であがった閃光に足を止めた。天に昇っていく赤い光、尾を引きながら森を赤く照らし出している。


「ロジェ様!」


ラヒムの真横を巨体が駆け抜ける。追従するように風が動いて、ラヒムもまた頭上で結んだ長髪を揺らし追いかけた。




夜鳴鶯が羽ばたく。


まだら模様の樹木が茂る森から、折り重なるように男が二人転げ出てきた。野原に出るというところで木の根に足を取られてしまい、顔面から土に倒れ込んでしまった。前歯が折れて、口の中に土が混ざる。それでも踊るように立ち上がったのは、気を失った仲間を助けて欲しいという気持ちが痛みを凌駕していたからだった。濃い草の臭いのなかでさえ血の臭いがはっきりとわかる。何度呼びかけても答えなくなった仲間は地面に吸い付くように倒れている。男達はちからない腕を持ちあげ、互いの肩にかけると灯りを目指して走った。


天幕に押し込むと、既に寝台には複数の怪我人が横たわり、治療を施す教職者が忙しなく動いていた。三人の男が入ってきたことに誰も気がつかない。手近に「頼む!見てくれ!」と絶叫すると、振り返った者たちは打ち合わせをしたかのように空の寝台を指さした。怒号が耳をつんざくなか、意識の無い男を寝台にかつぎあげる。


やがてロジェとラヒムも医療班の天幕に駆け付けた。


「状況は」


長司祭ロジェの声に答えたのは、同じく長司祭の職位を持つ詠隊のポーレだった。

裾を折り、たくしあげている腕には血がついている。目の下の黒子がひくひくと動き、周囲の治療状況を見定めていた。精悍な顔つきのまま、治癒術を施す両手を怪我人の体に押し付けている。ロジェは雑用でも何でも手伝いたかったが、その心を押し殺して状況の把握を優先した。


「怪我人は選別している。数は数えていない。奥が重傷者、手前が軽傷。擦り傷程度は外だ。一人手術が必要なやつがいる。頭頚部に損傷、鎖骨と上腕の裂傷と骨折、出血がかなりある。そこ、手が空いてるなら綺麗な湯をここへ。助かる」


木桶を持って天幕をでていく者、運ばれてくる怪我人で入り乱れている。ロジェの後ろで誰かが笑い声をあげた。振り返ってみると血みどろの顔をした男で、口に溜まった血を痰のように吐き出すのを見た。数名は顔を見れば名前が浮かぶ。


「きゃはは! はは! いってえ!」

「それ以上興奮するなら気絶させるからな! 黙って治療させろ!」

「石が足りなくなったら困る! 予備の理力石はまだか! 手の空いてる者、誰か確認してきてくれないか!」

「体温低下! 下顎を抑えていてくれ、持っているだけでいい。落とすなよ!」

「ろれの、ろれのくい、くい、どうらってう!?」


顔の下半分を鉤状の傷が入った男の唇は失われ、真横にずれた歯が空気に晒されている。ポーレは冷静に言った。


「ディアス、ここへ。誰か代わってやってくれ。ディアス、喋れるな。こいつに見た事を教えてやれ」


唇の無い男を抑えていた青年が振り返った。役目を交代してロジェの前に出る。頭に包帯を巻いているが、真っすぐに立っている。天幕の中では軽傷の部類だ。ロジェも知る、侍者の職位についている若い男だった。


「……我々は狩りのため誦経者、侍者、退魔師、読師の四班で山入。まず侍者がブレの木の下にある根穴を発見。周囲にグリの実の殻が落ちていることや、足跡から、生きている巣穴と判断しました。遠目から様子を窺いつつ距離を取っていったのですが、一部が勢い勇んで、巣穴に爆発術のこめられた理力石を……」

「わざと巣穴から炙りだしたのか」

「止める暇もありませんでした。仕留められると豪語しているのを聞いたのを最後に収拾がつかなくなり……」

「馬鹿な。配給の石程度で仕留められるわけがない。獲物は」

「グリーズです」


ロジェは呻いた。山岳や森林に生息するグリーズは縄張り意識が強く、獲物が死ぬまで攻撃をやめない。その執着は空腹の時は顕著で、鋭い爪で屠った餌を巣穴に持ち帰って貯食する。


そばで聴いていたラヒムが盛大に舌打ちをした。それもそのはず、班の割り振りを指示して狩猟班を見送ったラヒムは、根上がりの下にできた穴―――根が地上に露出して盛り上がり、できた空洞――には近づくなと言っていた。空洞はグリーズを始めとする肉食獣の巣穴になりやすいため、必ず避けるようにと。だというのに結果はこの惨状だ。ディアスもまた唇を噛んで腰帯に差した短刀を握った。苦い顔をしているディアスの後方、森の方から歓声があがる。


茂みの奥から大木に手足を繋がれて逆さになったグリーズの巨体が姿を現した。大木を担いできた男たちはすぐさま囲まれ、盛大を極める酒宴のような輪ができあがった。グリーズを足蹴にしながら拳をつきあげて誇示している。勝利という愚かなものを。狩猟を成功させた者達を讃える声が風に乗った。天幕で呻く多くの者の耳に届かせるわけにはいかない。


「黙らせて来い」


ロジェとポーレの声が一字一句重なる。






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