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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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77 精神上のとどめと、

鏡の中の若者は苦悩に満ちた顔をしていた。

痛みと調和することはできなかったし、それがどこからくるのか論証を導くこともできなかった。

原因不明の痛みがレーヴェの思考を解放せしめようと強いてくる。レーヴェはいまや黙って歯を噛みしめていることしかできず、そうした苦しみを頭の中で非難する。


「……着替えます。お願いできますか」


最善であるとはわかっていても晩餐会用の豪華な服を着て馬車に乗る姿を想像すると滑稽で、このままにしておくことなどできなかった。体調が悪いからと身体的惨状を理由にせっかくの外出が後味の悪い決着を迎えてしまうことも耐えがたかった。

幸運にも誠心誠意仕えてくれる彼らの手を借りれば、レーヴェは少しの予備動作をするだけであとはされるがままだ。首元が寛げられると、思わず身震いするような弱弱しい声を出してしまった。立っているだけなのに首から臀部にかけてのすべての骨がぎしぎしと痛み、たえず苦しみを教え続ける。そんな要らぬものを押し付けられレーヴェは憤っていた。


レーヴェが寡黙に沈潜していると、元の服の着替えを手伝ってくれる彼らが少しでも気を紛らわせようと話しかけてくれた。

客をもてなそうという素敵な素質であるそれは、たいがい自由時間についてや、音楽を奏でたり、愉快な芝居を見るような含蓄に富んだその人の生活に関心が向けられる。しかし今この時にひどく苦痛に顔を歪める少年から何かを聞きだすような事はせず、彼らは自分たちの日常生活の魅力的なものについて口にした。躍動をもって語られたそれらは断じて不快を催すためではなく、レーヴェの気を紛らせようと苦心してくれたからこその言葉だった。


「教会主義同盟の集いで外は大変賑やかでしょう。レーヴェ様も祝祭には参加なさいましたか?」

「私たち隣の通りまで行って参加したのです。なんといっても私達の信条は「行動こそ人生の華」ですから。それはもう居ても立っても居られず、ねぇデイビットの話もしてさしあげて。とっても面白いのですよ」


祝祭―――何を指し示す言葉かわからなかったが、ほんとうに嬉しそうに話す彼らの話に耳を傾ける。

名指しされたデイビットという従者はレーヴェの前に立っている長身の男で、前釦をひとつひとつ止め終えると、小声で「首元は開けておきますね」とレーヴェの首を飾っていた濃紺の紐を上衣の内側にしまってくれた。吐き気を感じていたので有難い気遣いだった。微笑んで礼を返すと、そのまま椅子に連れていかれる。靴を履き替える間に、もう一度背中を叩かれてせっつかれたデイビットが余り開きたくない口を開いた。下がり眉で「面白くなどありませんよ」と前置きする。


栗色の髪の女中が「この人ったら、祝祭を描きに行ったのですよ」と先に話し始めた。レーヴェは「絵をお描きになるのですか」となんとか彼女らの楽しみを壊さぬように話を渡と「祝祭に興味がありまして……」とデイビットは頬を掻いた。


「この人、石投げもしないで絵を描いてばかりなのです。こんなに背が高いから人波でも頭ふたつくらい飛び出るでしょう? 石を当てさえすれば永く悪魔を退けることができるというのにやらないんですもの。私を肩に乗せて欲しかったわ」

「私は絵を描く方が好きなのです……君は軽いけど、僕にはそんな力もないよ」

「こうですもの。絵を見せてさしあげたらどうかしら。あっ、パーシャ! この人の帳面って」

「ここにあるわよ。さっき棚に隠したの見てたの」

「……うまく描けていないんだ、だからパーシャ……お願いだよ」

「だめ。人も絵も、見てもらわなきゃ成長しないのよ。レーヴェ様どうぞご覧になってどこが下手か言ってやってください」


行動こそ人生の華―――――信条どおり確かに彼女らは積極的だった。高齢の従者は奥に消え、ここには残酷な若さしかなく、砕け過ぎた会話をとどめる者もいなかった。

レーヴェはとっくに気づいていた。「石投げ」「祝祭」「悪魔を退ける」―――馬車の中でのやりとりを思い出し、このあとの衝撃に備えるため心身を強めながら、同時に半身こわばらせていた。見たくない。見てはいけない。嵐が激しくふきあれ、ごうごうと風が吹いている。揺れ動く小舟の上にレーヴェは在った。


眼前に差し出された帳面が開かれた時―――レーヴェの鼓動は走り出した。


濁った質の悪い紙に、あるやせ細った男が描かれていた。

足は麻の袋の中にまだあり、傾いている巨大な石板を腕の力だけで支えようと必死になって、もはや耐えるしかない姿が描かれていた。周囲には押し潰されてしまう前の命の最期のもがきを見つめる人民。彼らは誰も近づこうとせず、その手に剣や槍を構え、ある者は石を投げていた。

帳面に添えたレーヴェの手が震えることに気づかぬ彼らは、陽気さを毛皮のようにたっぷりとまとい、打撃をくわえていく。


「これ懐かしい! これは前回の大会の時の罪人の最期ですわ。この人ったら刑場までついて行って、罪人の顔を描くのですよ。けったいな趣味でしょう?」

「ち、違います。いえ、あの私は死にざまを描くくらいしか……彼らの生きた証を残してやりたくて」

「でも死に顔でしょう? 死者を悼む形なのでしょうかねこれも」

「ゾアルは火葬されて墓もありませんから。本当にそこにいたことを誰も証明できないのです。それは少し可哀想ではありませんか」

「ならばお名前をきいて墓石に名を刻んでやればいいのではなくて? 身寄りのない者たちの合同墓地があるでしょう」

「私達の最期にいく場所? いやよ、ゾアルと同じ墓に入るなんて」

「僕も……病気がうつったらこわいな」

「死んだら同じじゃない。そう思うなら刑場まで行くのはよしなさいよ。私だって袋がなくっちゃ怖いもの。ねぇ、レーヴェ様いかがですか? うまく描けているでしょうか」






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