75 鏡のひとときと、
揃いの衣装をまとった女たちはシャルルとレーヴェの前に恭しく跪くと、腕に乗せた衣装が見えるように、片腕を肩の高さまで掲げた。一方に頭を曲げて目を閉じている女性がまるで踊りの相手を抱いているように見えたのは、その腕に広げられているのが晩餐会用の衣装だったからだろう。
色の違いがあるもののどちらも金糸の刺繍が施され、袖と胸元に散りばめられた金の留め具が照明を反射して輝いていた。
バティストンが懇意にしている織物商から最高級の生地を買いつけ、採寸をしたのは三節も前のこと。
晩餐会直前にようやく完成品のお披露目ではあったが、意匠の繊細さを見れば三節という期間は短いように思えた。レーヴェは内心で相当値が張るのだろうなと既製品の相場を思い出しながら衣装を上から下へ眺めた。靴や手巾などの小物も台座の上に行儀よく並んでいる。これらはすべて晩餐会の日だけ身に着けるものだ。
するとバティストンの向かいに腰かけていた主人が「ご試着なさいますか」と尋ねた。その声が自分へと向けられていることに気づいたレーヴェは「構いませんか、父上」と顔を傾ける。勿論頷きが返される。にこりと笑って席を離れると背中に視線が張り付くのを感じた。値踏みされるような居心地の悪さは感じない。それどころか親愛のような物を感じると言ったら前を歩くシャルルに舌打ちをされそうなので黙っておくことにした。
「こちらへどうぞ」と女中が指し示す方へ向かう。落ち着いた少年の振りはできたと思う。
シャルルとレーヴェが続き部屋に入るのを見送ると、主人は微笑みをこらえきれないまま、バティストンに向き直った。紅茶を一口含んだバティストンは変わらぬ味に目を細める。
「お可愛らしいこと。初めてあの子の服型を測った時は怖がって泣かせてしまったの、昨日のことのように思い出されます。針がこわいからと奥様の後ろで泣いていた子があんなに大きく……古い事をついこの間のように感じると歳を重ねた証だと言いますが、まさか自分がそう感じる日がくるとは思いませんでしたわ」
「気持ちはわかる。あんたにはうちのも随分世話になった。今回も一揃え用意してくれて感謝している。無理をさせたな」
「構いません。それに奥様のご注文に比べれば可愛いものですわ。あぁ、勘違いなさらないで。ここはあの方が結婚なさる前から専用の衣装棚なのですから、お好きに振り回していただければいただく程嬉しがる針子ばかりです。あれほど美しく飾り立ててもなお、ご本人の美しさが勝る方なんてこの世にあの方しかいないと全員わかっているのです。今日ご一緒ではないということはやはり晩餐会には参加なさらないのですか?」
「でない。夕顔の節に産んだ子がまだひとつにもなってないうちはどこにも出掛けないといって聞かない……顔ぐらい見せたらどうかと言ったんだが、強くは言わなかった。産後の肥立ちが悪かったんで俺もあまり連れ出したくなくてな。まぁ医者もつけてる。あいつも息子も元気だ」
「良かった。以前からお手紙は交わしていたのですけれど、最近音沙汰がなくなって代筆もできないほど体調を崩されたのかと心配していたのですよ。そうですか、赤ちゃんのお衣装は足りていますか? 異国の生地で着心地のいいものを縫いましたの」
「おい、どうせうちに使いを寄越して散々買わせてるんだろうが。顔を見ちゃいないが、店ごと寄越してるのは知ってるぞ。今日はでかい方の息子の物だけくれりゃあいい。それにな、俺が選んだもんはあーだこーだ言われて、しまいこまれちまうからいいんだよ。俺は金を出してる方が気楽でいい」
「心惹かれるお言葉ですこと」
―――仕切り幕の向こうは、母の衣装部屋に似ていた。
壁一面の姿見、衣桁にかけられた透けるほど薄い衣装、細かく仕切られた木製の容器にひとつひとつ収められている宝飾品、壁の棚には色とりどりの女性の短靴と、男物の革靴が並び、部屋の中央には背もたれの無い椅子が置かれている。母もよくここに座って服を選んでいた。
シャルルとレーヴェは少し離れた場所に誘導された。レーヴェを囲んだ三人の女中は流れるようにくるくると入れ替わると、首の帯を取り去り、釦を外し、腰帯を抜き取った。新しい上衣と下衣などが目の前に並べられている。それをひとつひとつレーヴェの体に当てはめるように、彼女たちは手を動かしていく。
「えっと、あの、下も試着をするのですか?」
「はい、レーヴェ様。お履き物をお召しになった状態で裾の長さを調整させていただきたく存じます。支障がございましたら……」
「支障などありませんよ」
と、代わりに答えたのはシャルルだった。視界の端に顔を向けると、試着を終えたシャルルが立っている。紺色の上着と金の刺繍が髪色に映えて、一段と美しく見えた。懐に寄った皺さえどこか色っぽい。レーヴェは文句を言おうと膨らませていた頬に喜色を乗せて、思わずうっそりと微笑んだ。
「とても似合っていらっしゃいます」
「うるさい。いいから早く着替えなさい。言っておきますが肌着まで脱ぐ必要はありませんよ」
「脱ぎませんよッ! もうせっかく良い男ぶりなのに、その口も縫い上げてもらってはどうですか」
手で虫を払うような仕草をしたシャルルを睨みつけておく。馬毛の刷毛で背中の埃を払っていた女中が「シャルル様、着心地はいかがですか」と訊ねた。
「問題ありません。裾の長さも申し分ありませんので、直す必要はないと感じますが、本職から見ていかがですか?」
そばに控えている職人を振り返る。悔しいがやはりシャルルの言動は洗練されていて格好良かった。
「着こなしておいでです」
「ありがとう。だ、そうですよレーヴェ。縫い上げるのはお前の口にしましょう」
「やですよ!」




