74 父と子供たちと、
バティストンは蔑むことも、苛立つこともしなかった。
レーヴェの大切にしたいものを壊さず、腰を据えて向き合う姿は、人生の大半を共に過ごしたシャルルでさえ初めて見るものだった。今この時、馬車の中という密室で、自分という部外者がいるにも関わらずバティストンが父親をしている事は明らかで、親子が言葉を交わす姿はシャルルの知り得ない遠くの世界を感じさせた。せり上がってくる苦味にシャルルはそっと顔を背ける。
「父上の言葉はわかります。儀式を行う事で、命を支えるちからとなる。だからこそ、人を支える為に他者の命を使うなんて…私は嫌です。もっと温かい光を分かち合わなければ……そうでなければ、ここがどうしようもなくなるのです」
ざわつく胸を抑える。強欲だと言われても、どんな鋭い剣で刺されようとも、生まれた悲しみを消し去ることはできない。
シャルルは遠雷を数えるように、ぼんやりと宛てもなく空を見ていた。次にバティストンがどう言うかそればかりを考えている。そして傷つくのだろうと分かりながら耳を塞ぐことができない。
「見えねえものを信じてるやつらはどうだ。新しい希望を授けられても、それを受け入れられないやつは必ずいる。お前がいいと思うことで傷つけられて、元に戻すように言うだろうよ。お前のせいで自分の子供が死んだっていうやつもでるだろう。その時お前はあの袋の中に入れと、全員から言われるかも知れないんだ」
「私が悪魔を遠ざけます。命の上に成り立つ世界なんて、そんなもの嫌です…………嫌なんです……」
薄靄のような膜がレーヴェの瞳を覆う。雫を待つことを嫌い、目を瞠ったあがきが余計に感情を煽った。鼻の頭に力を入れると、覆いかぶさる沈黙が口の中で跳躍した。
「……わかって、いますっ。甘ったれた事を言っているとお思いでしょう」
蹄の音と、道のくぼみに車輪を取られて上下する振動がレーヴェの体を揺らしていた。馬車はいつの間にか進み始めている。在所のない心を持て余すレーヴェは膝の上で握った拳を震わせながら、固く目を瞑った。なかなか落ち着かない呼吸を飲みこみながら鼻をすすっていると、バティストンが体を起こした。座席が軋む音は溜息に似ていた。
「……すぐ泣くなぁお前は」
「……泣いてなんか…!……泣きたくないのに、泣いたらだめなのに……とにかく泣いてません!」
顔を無理やりあげると、とうとう雫が伝った。これは涙ではなく、感情が零れているだけなのに。レーヴェは溺れるように涙の合間に息を吸う。昂るといつもこうだった。体から幼さを断ち切る方法がいまだにわからない。
感情の渦にのまれる息子の姿など見慣れているバティストンは当惑することもなく、ただまじまじと幼さの残る顔を眺める。いななくように肺を軋ませて呼吸する姿は、レーヴェの内部の純真さを現しているのだと知っている。できることなら、ずっと見守っていたい。
「……お前は商人に向いちゃいねえな」
膨れっ面を見せるかと思ったが、レーヴェは涙を集めた顔で「良かった」と笑った。バティストンは訳を問わずに、溜息をひとつ溢す。
そして外をじっと見つめる物静かな横顔に視線をすべらせた。
「あんましシャルルを困らせるなよ、大事な兄さんなんだろ」
一拍遅れて大きく頷いたレーヴェの隣、シャルルは自分の居場所が裏返ったような錯覚を覚えた。
窓越しにバティストンと目が合う。夢を見ているのかと思った。
◆
「ようこそいらっしゃいました。フロムダール様」
「遅れてすまねえな」
「いえ、芽吹の節ですもの。時間通りに動くのは太陽と月くらいですわ」
仕立屋の門をくぐる三人を出迎えたのは、胸元にハイバの花を一輪刺した女だった。大きな鹿の角を持つアクリス族の女で、化粧で目元を赤く染めた佳人だった。
バティストンとシャルルが話す後ろで、初めて訪れる店に興味深々といった様子を隠さずに瞳を動かしていたレーヴェは不意に彼女と目が合って、照れくささの余りはにかんでしまった。シャルルのように飄々とした落ち着きが欲しいと常々思っていたレーヴェだが、さっそく幼稚な姿を見せてしまって、気落ちする。馬車で大泣きしたあとが目元に残っていないことを祈りながら、会話に集中しようと背筋を改めて正した。
口に手の甲を当てて玉を転がすように笑う彼女はこの仕立屋の女主人で、いかにも仕立屋になるために生まれてきたというように滑らかな口調でバティストンらを奥の部屋に招いた。長椅子に腰かけると、控えていた従僕が紅茶を用意する。レーヴェが小声で礼を言うと微笑が返される。
主人が片手をあげると幕で仕切られた続き部屋から衣装を持った女中が列になって現れた。




