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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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63 散ったいつかと、

「私が温かい寝台で眠っている間、シャルルさんはこんな場所で眠っているのですね……」

「………侮辱するな」

「事実でしょう?」


殴ってやろうかと心に描くも、実現させる気力はなかった。すぐに目が曇って歪んでしまう。空しさがますます嵩んで、感情を心に留めておくことができない。


「父からシャルルさんの話を聞かせてもらう度に、尊敬の念を抱きました。台帳を見る度に、父がわからなくなり、貴方が苦しめられているのではないかと思った。けど……実際貴方を見てわかりました………父のこと慕っているのでしょう?」


肩がびくりと跳ねた。ねぐらの藁を一息に吹き飛ばされたように裸にされた気がした。驚天と恐怖が背筋を走り、心の外に膜を張る。終わりだと、強く感じたのは自分だけだったのか、少年に何もかも見透かされたのかわからない。重ねた腕に頭を押しあて、床を見ていた。少年の顔に嫌悪や侮蔑が入り混じっているか確認するのが怖ろしかった。


「………私は商会を継ぐでしょう。貴方に集約している業務を分割して、正しい賃金をお渡しするようにします。けれど、貴方はきっとそれを望まない……だから、養子になっていただきたいのです」


足先に影が掛かった。彼はシャルルの名を呼んだ。自分を見て欲しい、そう言うように願う声だった。囁きは唇から放たれ、白黴の生える床に落ちる。

レーヴェがさらに動いた気配があった。しかし両脚のあいだに映ったのは影だけで、心を無理やり暴くような無体は働かなかった。


「浮浪児から成り上がった貴方は、私などでは到底わからない苦労を重ねてきたのでしょう。なのに貴方の献身によって大きくなった商会を、何も成していない私が、父の子供というだけで与えられてしまうのです………貴方が兄になれば、正式に貴方に継いでいただく事ができる。商会の権利書はフロムダールの者だけに利益がいくようになっています。貴方がフロムダールになれば、その時、誰も文句は言えないでしょう。父でさえも」

「………貴方はどれだけ罰当たりな事を言っているか、わかっていますか…?」

「わかっています」

「どうして………どうして貴方のような不幸者が……彼の…」

「わかっています…………」


死んでしまえば良かった。

性的玩弄の対象である内に、美しいままに、終わらせてしまえば良かった。惨めさを味わうこともなく、飢えを覚える事もなく、嫉妬も覚えず、焦りで喉をかくことも、頭を掻きむしることも、自分の体を供犠とすることも、何もかも味わわないまま終わらせたかった。シャルルは今、その機会を永遠に失ったことを理解した。


(もう………)


よしんば彼の言う通りに事が進み、あの人の長子の座に収まったとして、シャルルの望む未来はない。

彼は、ひとを愛するようになってしまった。


(愛する……)


もう二度と瞥見も甚だ不本意であるというような顔で見られることはない。

もう二度と至福の境地に至ることは無い。

望む永遠は過ぎ去った。


(………あの方に見て欲しかった……私を……こんな……こんな……)


顔が痙攣し、片目だけが大きく開く。

冷たい手で心臓を掴まれていた。喉が絞まり、息が吸えない。首に手を宛てると、既に自分の手があった。


「……はっ…、はっ、………はは……っ……」


呼吸は断続的に散在した。

レーヴェは狂おしく乱れる男に手を伸ばした。その干渉が、シャルルの嫌悪を引き出した。


手を叩き落とし、代替品の肩を押して、そのまま床に押し倒した。受け身も取れず床板に打ちつけられて、顎を強打したらしい。呻き声と一緒に顰めた顔を見て、少しも乱されない者を凌辱することに快さを感じた。奇声があがる。自分ではないような苛烈な声を、最早判別することもできない。

シャルルの鼻を侮蔑が抜けて、口腔に溢れた唾液を快感とともに飲み込む。


傷つけたい。背骨に体重をかけられ、四肢を拘束されても心配そうに瞳を揺らす男を。一滴の闇もない瞳を。愛情をなみなみと受けながら、泥の中に捨てようとしている男を。

睨みつけ、心臓を突き刺す言葉を注ぎ込む。少年は手足をばたつかせて逃れようとしたが、何もかも流れ去った。


「はっ……お前が! お前がいなければ…!」


レーヴェの目がパッと開いた。その瞬間レーヴェは初めて声を荒げた。横顔を必死にシャルルの方に傾けて、喚いた。


「………万事があんなに馬鹿げた事でなければ良かった…! 貴方が貴方の正しい価値を受け取っていれさえすれば良かった! 父が昇給の話を拒絶さえしなければ、…ッ!……私に講義など受けさせないまま……!! 私に何も、…何も与えず………無知のままであれば、どれほど良かったか………貴方に憧れたままいられれば……でも……でも!」


世界は汚染され、清らなものなどなかった。

いかにも幸せな夢を見ているように、頭を撫でてくれる父に両手を伸ばし、抱き上げてもらった日々はもうない。


「どう思われようと、どうでもいい……………怒りも、痛みも、苦しみも、貴方のものだ。私にどうすることもできない! 私を殺したいならやればいい! 私がいなくなればすべて良くなるというなら! 貴方の思う通りになるというなら、やればいい!」


相手の視線に知性の光沢が戻った一瞬の隙を突き、レーヴェは腕の拘束を跳ねのけた。肘を手元に引き、渾身の勢いをつけて外側に撃ち出した。脇腹に一撃を受けて崩れた体の下を転げながら抜け出すと、そばにあった四足の椅子を引き寄せた。






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