58 共犯と、
低木の上に帽子のように乗った新雪、無垢なウグイの囀り、玄関から中庭に至るまで笑顔で微笑みかけてくれた従者たち、後ろに控える夫人のお手付きの従者たちが寒風のもとで表情を殺して立っている姿などは、ジョットが一際好むものだった。
彼らの忠誠は、決して若くはない、かつては美しかった女に向けられているが、実際深い所で忠誠をつなぎとめているのは給金であり、墓地の枯れた花のように何もかも色褪せている。
夫人はこの世で一番美しい存在だと言いたげに袖を軽くつまみ、杯をゆっくりと持ち上げる。ジョットに果実酒をすすめる姿はいかにも美しかったが、空いた手で男の背中を弄ぶ行為は使用人の前でも平然と行われた。
配膳台を押してきた使用人が、菓子の乗った皿を机に置こうとしたが、夫人は冷淡な口調で「下げて」と言い放った。使用人は硬直している。客人の分まで下げても構わないのかと瞳を揺らすが、夫人が余所を向いている隙に合図を送ってやれば、安堵の顔を見せた。皿の縁には直線を重ねた柄がついていたが、ジョットの故郷で作られた食器を選んでくれたのだろう。彼らを労らう方法を思案しながら芝生の上に置かれた椅子に腰かける。
卓には紅茶の茶器だけが残され、別の使用人が温水の水差しを手に取る。すかさず夫人が何もかも押し出すように素早く手を払った。使用人たちは次々に室内にしりぞき、雪解けの水音が響く中庭は密室となった。
「風邪を引かれても知りませんよ」
「ねぇ、ジョット。今度撞球に連れて行ってくださらない? バティから貴方が巧みだって聴いたの」
「嗜む程度ですよ。私の知り合いの者が遊戯室を開いていまして、そこではしがらみも忘れて心置きなく話ができるので良く通っているのです」
「まぁ、羨ましい。個室もあるの?」
「ありますよ。ですが、残念ながら夫人はお楽しみになれません」
「いやよ、どうして?」
女人禁制だと告げると、夫人は素直に驚き、顔の前で手を合わせた。笑い声は零れ落ち、雪の静寂を破るように弾けた。雪の中に残った輝きを見つめているジョットに、夫人は遠慮のない言葉を浴びせた。
「貴方はほとほと男が好きね。シャルルは貴方に愛されてると感じている。それなのに貴方は彼を愛さずに別の男を抱くの」
「愛していない? なるほどそれは気づきませんでした」
ジョットは穏やかさを装って返した。
けれど素肌で金を稼いでいた女は歯に衣を着せるということを知らない。
「愛に飢えた弱い子を選ぶのがお好きね。言う事を聞かせて、裏切れない。あの子の太腿がこまかく震えて、足指が引き攣るほど緊張している時、別の男の中に昂りを放つことを考えるの? それとも逆かしら」
それから夫人はジョットに顔を近づけると、「頬に雪が」と言って手巾で拭うために立ち上がった。
石畳を撫でるように引きずる裾を深くめくり、足を広げて男の上に跨った。
対座になると、手巾はすでになく、目の前には自分の思うままに振る舞う女だけがいた。ジョットの腹から下は純白の裾の中に隠れたが、白い生地の下には女の潰れた太腿が透けて見えていた。夫人は男の体に尻を埋めるように何度か腰を揺らした。正しい位置に収まると、あぁと享楽をにじませた声を出した。香のかおりが漂い、静けさの中に卑しさが立ちのぼる。
夫人は美しい瞳でジョットを注視している。淫靡さを尊大に押し付ながら、男の頬に手を添えた。微動だにしない唇に、唾液をまとった赤い舌がべっとりと張り付いた。日差しに照る雪のように自分の口が濡れているさまを想像して、ジョットは苛立ちを腹に集めながら夫人の腰を掴んだ。
「……ご子息の話をするために私を招いたのでは?」
「そうよ。話をしましょう? 大雪のせいで私はひとりぼっちよ。船なんていくつ駄目になってもまた買えばいいのに、レーヴェも港に行ってしまったわ。みんなどうしてあの不器用な人が好きなの? あの人の汗は私も好き、唾液も、性急な児戯も。優しく、溶け合うように愛してくれるの。そんなもので私が喜ぶと思って」
夫人は自らの手を足の付け根に差しのべて、互いの膨らみの端をなぶった。吐息をそそぐように耳元にもたれかかる。
「ねぇ、このまま寝室へ行ってもいいのよ。使用人たちに体を見せるのも飽きてしまったの」
魂胆の透いて見える行為は、あまりに馬鹿馬鹿しく、ジョットは覗き穴の向こうで行為に及んでいる自分を見ているような乖離した感覚を得ていた。
「こんなことを申し上げる事ではないかも知れませんが、御主人とは友人としても親しくさせてもらっています。その奥方とこういった関係を結びたくはありません」
「あら、ひどい方。私をあの男と結婚するように仕向けたのは誰だったかしら。聡明な貴方ならおわかりでしょう? 今逃れても、先延ばしになるだけ。必ず私を抱くの。ね、見てちょうだい……」
夫人は裾を手繰り上げると、女陰の茂りを見せつけた。あるはずの下着は最初からなく、両膝を立てて、腰を浮かせ、卑陋な姿を偽りなく曝した。
自分の弱点をこれほどまでに、無理なく、束縛もなく、露骨に見せつけることはジョットにはできないことだった。本能のままの姿は動物のように野性的で慎重さを欠いている。それはジョットの好むものではないが、憐れむ気持ちが生じたことも確かだった。
ジョットは目の前の女の首をへし折ってしまおうかとも冷静に考えたが、下衣の上で変形する赤く熟れた箇所から滲むものは、夫人の飢餓と不幸にほかならないとも理解できた。女の言う通り、互いは既に共犯であり、まだ解放してやれぬことも確かだった。




