56 甘い土産と、
雪が降り、灰色の曇り空が続く。
色の無なくなった町の一角、この時期こそ鮮やかに染まる場所がある。
海港都市の中央区、鐘楼の鐘が正午を告げた。石壁の商店通りは大雪のため人通りは無く閑散としていたが、丸い看板を下げた菓子店からは甘い匂いが漂っていた。
硝子張りの陳列棚には果物に砂糖を加えた砂糖煮、小麦粉の生地を器にして、その中に果物や卵液を入れて焼き上げた器菓子、魚や果物の形をした飾り菓子、小麦粉で作った生地に蜂蜜を入れて焼いたものなど多くの商品が並べられている。
一番人気は、魚の形に整えた生地に苺を乗せた焼き菓子で、層になった生地は口の中でさくさくとほどける。薄く切った苺は表面に塗られた液によって照り、鱗のように乱れなく並んでいた。毎朝飛ぶように売れるが、今日は雪のため開店時間をずらしたので、まだ客を迎えていない。店内は奥の部屋からの片付けの音が聴こえるほど静かだった。
頭巾をかぶった売り子が最後の商品を陳列棚に乗せた。思わずため息の出る光景を目で楽しんでいると、丁度軒先の鐘が鳴った。
馴染みの客の来訪に、売り子はやや遠回りに陳列棚の裏から出ると腰の乾布で男の外套についた雪をなまぬるく払ってやった。
羽根飾りのついた洒落た帽子を被った男は、鋭く張り詰めたような目で女に微笑みかける。「ありがとう」という声の低さたるや。売り子は男の瞳の中に、悪と憂いが同居しているのを眺めるのが好きだった。風貌からもわかる通り明らかに女を泣かす類いの男だが、こうしてひと時を重ねる程度であれば咽び泣くこともない。
入手しない男との会話を楽しむため、売り子は棚の裏に戻った。男は濡れて艶やかになった髪を首の後ろに払うと、棚の中に視線を流す。その間売り子は波を受けぬ高台の上にいるかのように、濡れない距離で男を見つめていた。
「今日は開店していないかと思いましたよ」
前屈みになった男がちらりと視線だけをあげた。目が合っても視線を逸らさないところがより一層いやらしい。この手の男はきっと手の甲に口づけを落とす時も、女の目を見るのだろう。
「小麦粉をこねるよりまずは雪かきをしないといけませんでしたからね。家族総出でやって、それから店の準備を」
「あぁ。ちょうど良い頃合いに伺えたようですね。しかし、この町の人は不便さを楽しんでいるような気がします。みなさん喜々として雪かきをしている」
売り子は窓の外に停まっている馬車を見た。熱を帯びた馬体から湯気があがっているのが見えた。
「ふふ、そうですね。ジョットさんのお国では雪は降りますか?」
「首都ではあまり降りません。でも南部の方は万年雪に覆われているところがあります。私も雪は初めてではありませんが、今日のような大雪は経験がありません……おや、この魚の形をした……これが出ていると雪隣の節と感じますね」
「えぇ、私もそう思います。この町で喜ばない方はいませんから、贈り物にも自分用にも最適ですよ」
「では、これを三ついただけますか。あとは………こちらの飾り菓子も三列すべて。こちらのお店の特徴かと思っていましたが、この町はどこの店もとても発色が濃い」
「え、そうなんですか? 私はこの町から出た事ないので……でもジョットさん、うち以外の菓子を買ったなんてひどいです」
「どうかお許しください、商売上手土産が必要なものですから」
明らかに偽りと分かっていても、男の微笑は美しい。
売り子は作業をするため背中を向けた。
「この町の濃い色とは違って、アクエレイルの菓子はまろやかな色合いのものが多い。ここはなんでも強いでしょう? 色味も。甘いか、塩味でしょう?」
「だってそれが一番ですもの。漁師町ですよ?」
「みなさん開口一番そうおっしゃる。でも塩辛いものばかりだと体に悪いですよ。菓子も保存が効くように砂糖がたっぷりですからね……私は皆さんの健康が心配です」
「あら、こんなにたくさん買ってくださってるのに?」
飾り箱を棚の上に置くと、からん、軒先の鐘が鳴った。ジョットは優雅に挨拶を済ませると外套を翻した。二人目の客と同時に入ってきた彼の御者がいつものように荷物を受け取る。
二人目の客はしかめっ面をしていると思えば、売り子に開店時間が違うことに文句を言った。
挨拶も無視された売り子は雪かきをしていたんだから当たり前でしょと平然と言い返したが、今度は陳列棚の中が随分と減っていることに文句をつけ始めた。売り子は御者から渡された金貨をすぐに前掛けの中にしまうと、奥の部屋に引っ込む。
料理器具の洗浄をしていた父親に「怖い人がきてるの、おとうさんっ」と怖がるふりをして見せて、さっさとやめた。




