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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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51 祝宴と着火と、

上流に首都アクエレイルがあるマーニュ川と、ロライン家が治める北西部にある湖から溢れた支流が合流する場所にある海港都市は、造船、製塩を中心とした貿易拠点として栄えていた。

湾より少し離れた海上に小さな岩山が突きだしており、二つのこぶのくぼみに沿って教会が建っていた。一階は信徒会館、二階は司祭館となっており、島への出入りは一本の桟橋のみに制限されている。これが海港都市を統べる大主教の住まう地だった。


襟付きの服をまとったバティストンは、環状広場についた馬車から降り立つ時、歩き方を忘れたようにぎこちなかった。窮屈な服のせいで息苦しくてたまらず、今すぐ力のままに釦を弾き飛ばしたかったが、夢にまで見た場所に足を踏み入れた今、携えた勇気のみで押し通る。


後続の馬車が直ぐに追いつき、追い立てられるように玄武岩の階段をあがる。顔を上げると背の高い両開きの扉の向こうから煌々とした灯りが漏れていた。夜の中に大きく開いた口に次々と招待客の姿が消えていく。上衣の裏にしまってある招待状を服の上から叩いて確認し、バティストンは息を整えるため、都市の方を振り返った。重責から目を逸らしたい一心だったが、石段の上から見る都市に言葉を失う。


船上からの景色より、なお良いと思えたのは、町全体が夜のしじまに融け入っているからだろうか。黒い幕に火がぽつぽつと燃えている。人の営みをこれ程までに美しいものとして見たのは、生まれて初めての事だった。


信徒会館の中は、屋根の下だということも忘れそうになるほどに花咲き、饗宴の間への長い廊下を彩っている。あちこちに置かれた調度品は、百以上。鉄の鋳物、儀式的な仮面、獣の剥製、特に壮観だったのは美しい栗毛の名馬がいたことだろう。


手綱を握った男が、硝子の器に盛られた砂糖をひとつ取り、馬に与えている。砂糖は真四角に整えられており、細部に至るまで贅を尽くされている。バティストンに馴染みがあるのは箱の中で砕いて使用する、棒状に固めた砂糖の方だったので、角砂糖は仕入れの時に見るだけで縁が無い。

穏やかで落ち着いた眼差しがバティストンを見たような気がしたが、すぐにうつむかれてしまう。あの首筋を撫でつけるのを想像すると、少し緊張がほぐれた。


どこを見ても感嘆が出そうだ。場慣れしているジョットの為にも飲み込んだが、言ってしまえば建物や家具や招待客の服装、仕草などあらゆる物に心を打たれた。


後ろを歩いていたジョットが扇を開き、耳元に顔を寄せてきた。いわく、あの馬はホルミス領の商人の献上品らしい。他にもたくさんの部屋があり、中には球を棒で小突いている男達の姿があった。ジョットの方を見ただけで、彼は「撞球という遊戯ですよ」と教えてくれた。


「さぁ、準備は宜しいですか」


扉の向こうから奏楽の音が聴こえてくる。


(この向こうに―――)


バティストンは息を飲んで、今夜の相棒に向き合う。


ジョットはいつものつばの広い帽子ではなく、つばの狭い高い帽子を被っている。黒い羽根飾りを真上に立て、長めの髪を結んで後ろに流す姿は、トリパノ族の正装だ。胸元や袖に肌の色と同じ黒と白の縦縞模様が入っているが、黒い外套を羽織っているため、全体は引き締まって見えた。バティストンは自分の格好のことは極力考えないようにした。全身ジョットに選んでもらった衣装だが、どれだけ良い服を着ていようと、くるまれているのは汗水垂らす労働者に過ぎず、高貴な男に生まれ直すことはできない。


饗応の間での対応は上層と伝手もあるジョットに任せ、彼と同じように杯を取り、同じように頷き、歓談する予定だ。食事の作法についてもジョットは教えようとしてくれたが、銀食器を落とすくらいなら食事はしない方がいい。

それに緊張のせいか腹の調子が悪いから空腹は感じないだろう。出掛け様何の気なしそう言うと、シャルルは青褪め胃薬を持ってこようと部屋を出た。足音に向かってやめろと叫ぶも、ジョットの方が許可を出し、シャルルは薬を手に戻ってきた。どちらが雇い主だかわからないが、歯車がうまくかみ合っている気がして悪くは無かった。結局受け取った薬はまだ胸にあり、服用していない。


眼前の扉をくぐれば、戦いが始まる。バティストンにとっては勝負の瞬間だった。バティストンは一息に、肺の空気をすべて吐き出し、「よし!」と心の中で叫んだが、前に回りこんだジョットに両腕を取られた。


「……バティストンさん? いけません」


「なにがだ」と言いかけて、自分の手を見てぎょっとした。

手のひらが自分の頬の方を向き、自分の面を景気づけに叩こうとしていた。いつもの癖が出たのだ。「お、おう! すまねえ!」とでかい声が響いて、口ごもったが、遅かった。

無言のジョットは笑みを深くして、扉の両脇に控える従者たちは何事もなかったかのように瞼を閉じる。しばし、男の笑みに耐える時間だけが過ぎた。何を言っても怒られそうでバティストンは口を結ぶほかない。


饗応の間から聴こえる奏楽の音色が弱くなった。曲が変わる前に行きましょう、というジョットに頷きを返し、廊下と部屋の境を越えた。






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