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50/412

50 表舞台と、

娘たちが歌いながら通りを練り歩いていく。


花嫁よ わたしたちに生をもたらす花嫁よ

悪魔の尾をつかみ 水の中へ沈め

病の作り手を飲みこみ 火の中へ沈め


花嫁よ わたしたちに命をもたらす花嫁よ


手に枝を持ち、花冠をつけた娘たちは町中を歩き回り、一軒一軒の扉を枝で叩き、歌い、重なり合って長い列を成しながら、最後には港に向かった。


波止場には、枝の落とされた円筒形の立木が鎮座している。頂上は首を落とされた様に平らで、体には葉や枝が巻きつけられ、隙間に花を挿している。樹皮は部分的にはぎ取られ、生皮がのぞく場所にはハイバの花が咲いている。遠目にも血のように鮮やかだった。かたく光沢がある葉に日差しが反射し、宝石のように輝いている。


花冠をつけた娘たちが立木の周りで踊る始めると観衆から陽気な手拍子や歌声があがった。

娘たちは観衆の中から好きな男の手を取ると、輪にいざなう。男女の巡回は華やかに重なり、離れてはまた重なる。


踊りが終わると男達は立木を担ぎ上げ、力の限りに海に放り投げた。飛沫とともに一番の歓声があがり、娘たちは波紋に向かって枝を投げ入れた。


これは罪の代理人降誕を祝う祭りで、娘に選ばれた男は神の恩恵を得られるといわれている。投げ込まれた立木を見たものにも祝福が与えられるため、海港都市の住人は港に集い、内湾に浮かぶ多数の船からも儀式を見つめる眼があった。


「祝福はいただけたようですね」


檣楼から戻ってきたバティストンは歯を見せて笑った。一方から吹きすさぶ風が、ジョットの帽子を揺り動かした。温い海風を受けてあちこちへ動かされる羽根が、ジョットの視界に出たり入ったりを繰り返している。

バティストンが対面に腰かけると、華奢な椅子が悲鳴をあげた。膝が弱い男は高い位置から容赦なく腰を落とす癖がある。物を大事に扱ったことがないのだろう。


しかし長所もある。檣楼へ登っていくには縄梯子をのけぞった姿勢で登っていかねばならず、修練を積まねば易々とは登れないというのに、バティストンは猿のように手足を使い、さらりと登って見せた。これにはジョットも微笑んだ。


商人というより賊の方が似合うだろうと曲芸を見上げていたジョットは、戻ってきた男に果実酒を注いだ杯を差し出した。

男の見た目は豪放にも関わらず、杯の下を揃えた指で摘まむ。随分と心を許されたようだと笑いながら、ジョットは視線を波止場に戻した。


「花冠を被った娘が戸口を枝で叩いて回るのは、その家から罪を枝にうつし取るため。婚姻衣装に見立てた立木を投げ込むのは、神との婚姻を表している。これは共感呪術による多産性の分配を意図しているのですか? それとも像を投げ込んで、土地を肥やしてくれる雨を乞うといった……」

「おいおいおい、あんたに分からねえことが俺に分かるわけねえだろう」

「おや。随分熱心にみていらっしゃったのでてっきり。成り立ちには特に興味はありませんか?」

「言っちまえばそうだ。俺たちにとっちゃあれは節の区切りで、海の男は大漁を、陸の男は商売繁盛を願う。子宝っつーのもあるが、あれは男の祭りで、要するに飯が食っていけることを願うのさ」

「重要な儀式ですね。のめり込む気持ちもわかります。わが国にも類似した儀式がありまして、懐かしく思っていたところです」


そう言うと、彼は椅子から背中を離し、前のめりになった。膝に肘を当てて、楽しそうに髭面を擦っている。視線で話を乞われたジョットは笑みを深めた。


「一人の娘に花冠を被せ、宝石で飾り、水を浴びせます」


バティストンは目を見開いた。ジョットは杯で唇を湿らせ、瞼を閉じる。記憶の中の女の姿は、魅惑的だった。自分の運命と結びついていると感じた。


「濡れれば濡れるほど次の節での豊饒が約束されます。男達は一人ずつ種を蒔き、最後には女の頭を水の中に押し込みます。女が命の水を飲むのです」

「それはまた……」

「蔑ろにしている? ご安心ください。その儀式は歴史から遠のき、別の概念が定期化されています」


「そうか…そうか」肩を落としたバティストンは、果実酒を一息に飲み干し、杯を卓上に置いた。


「女なんざどうでもいいと思ってた……毎日仕事のことだけ考えて生きてきた。明日のことなんて知らねえ、今食えるものを用意するだけで精一杯だった。そんなやつらを集めて、今日、明日、あさって、………飯を食わせてやった。だけど今じゃ、……女の胸で眠るために生きてる」

「良い奥様を娶られたのですね。いつかお目にかかりたいものです」

「……そのうちな」


不安なのか、上衣の腋を湿らせた男は顔を逸らした。こうして会合を重ねても未だに個人的な領域には踏み込めていない。

バティストンは鼻の頭を掻きながら、ジョットの方を見て、また目を逸らした。


「てめえの面がそこまで良くなきゃ良かったんだ」

「は、…………………まさか悋気」

「ちッ……癪だがな。笑うなら笑いやがれ」

「それは……ふふ、…えぇ。ではお許しの通りに」

「ちッ……酒持ってこい酒を」


それから笑い声の響く甲板に、人夫が紛れ入った。ジョットの傍に膝をつき、耳打ちする。ジョットはしゃらりと宝飾を鳴らし、立ち上がる。

船の縁まで移動し、少し離れた場所に停泊している船に向かって頭を下げた。向こうの甲板には人の姿はないが、船体後部の客室から観られているのだと鮮明に感じた。

バティストンもおもむろに立ち上がると、ジョットの隣に立った。


「ありゃあ大主教様の船じゃねえか…!」

「先程あちらから小舟が参り、使者が手紙を届けたそうです。こちらを」


人夫から受け取った文を、バティストンに差し出した。男は眉間に皺を寄せて、筋肉が山盛りついた腕を腰に当てた。


「あんたの船だ。手紙もあんたの宛てだろ。読まねえ」

「いえ。私達、双方に宛てた手紙です」


バティストンに見えるように封筒を裏返した。

双方の商会で興した新しい貿易会社の名前が刻まれている。そして何より封蝋には、教会の印章がある。


バティストンはついに、念願のものが目の前に現れたのだと気がついて、口を開けた。無意識に呼吸を止めていたが、頭が処理をし始めると、荒い呼吸がこぼれだした。


これまでバティストンと教会は互いが無縁なものとして存在していた。しかし交差した。大橋の修繕工事を請け負い、見事にやってのけた。それから音沙汰はなかったが、


(それがどうだ―――この手紙は! この手紙は…!!)


バティストンの運命が手紙という形になって現れた。ジョットから手紙を受け取り、しばらく眺め、息を整えてから封を破った。


草を食べ、廃馬の中で死体のふりをしていた子供が、ついに舞台にあがる。






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