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05 信じられてきたものと、

――かつて神様は龍の形をしていた。






神を表すどんな物語も必ずこの一文から始まる。

これはこの国の有名な神話であり、寓話であり、子守歌だった。



この世界を創造した神様は、人の手の届かない領域に生息し、姿を現すことはないとされている。けれど唯一神様の姿をしるした絵巻がある。それは遠い昔、我々の先祖が神と生きていた頃に描いたものだった。


身の丈は大山の如く、巨躯は月明かりのない夜のような漆黒。何もかも一飲みにできる大きな口を持ち、鋭い鉤爪は金色に輝き、有鱗の尾を一振りするだけでいとも容易く大地を引き裂いたという。

四脚で地を這い、自在に飛翔することもできた。


まさしくこの世の頂に座すほどの存在だったが、その中でも特に人々を耽溺させたのは翼だ。翼は雨粒の連なりをそのまま留めたような金色の装飾に覆われ、羽ばたくことであらゆる音を生み出した。


音は淡く光る球体となって浮き上がると大地に降り注ぐ。光を吸い込んだ地にはあっと言う間に緑が生い茂り、木陰から鹿の親子が踊るように飛び出た。

光は命だった。何万もの光の雨のすべてが神様が紡いだ命だった。


人々は神の前に平伏する。まだ言葉もなく、身振りで意思の疎通をおこなっていた人類が信仰を得た瞬間でもあった。


神様の作り出す音は、耳にした者の心をたえず疼かせ、衝動を覚えさせたという。

そうして人々は神様と接するうちに、生み出される音が異なることに気がついた。翼から生まれる音はひとつではなく、生み出されるものによって異なると。


神様が山を作り、川を作り、海を広げ、

鳥を作り、虫を作り、獣を作り、人を造った。人々は理解する。それらすべてが、音の粒から変質したものであるのだと言葉にはできないまま、本能で理解する。


だからリリィ。こうして寝物語をせがむ君の突飛な行動も、音階が一つ違えば起こらなかったことかも知れない……まだ眠くならないか? いつでも切り上げていいんだ。途中でも構わず眠ってくれ。


神様は、神として為すべきこと、例えば爪で大地を優しくなぞり山脈のうねりを整えるとか、翼を広げて風を起こしたり、尾先で海水を攪拌しては時折水底に生まれる新しい砂を大気に混ぜる、というような星の命を巡らせる大事な務めをもっていた。これは神にとっても不文律で、この世界の創造が済んでからも日毎繰り返していることだった。


入道雲を貫き、大海原の上を飛翔しながら神様は星に満ちる命について思考を巡らせていた。

この頃、星は揺籃期を過ぎて、爛熟を迎えようとしていた。様々な植生が繁茂し、動物は繁殖をおこない、穏やかで強かな生が謳歌されていた。すべては共生し、調和していた。


針葉樹の森の上を駆け、うねる川の上を駆け、乾燥してひび割れた大地の上を駆け抜けたところで、神様は翼の角度を変えて旋回した。進路を北にとる。


目指したのは遠目からでも見て取れる大きく美しい山の連なりだ。


その中で最も峻険な大山の真上まで来ると、大きな火口を見下ろす。

既に噴火して数万年が経った古い山だ。火口の底は深淵の如く見通すことはできない。


――ここに【彼】が住んでいた。


大地を形成するために戯れにこの大山を噴火させた時は、彼はその様を飽きもせず何年も眺めていた。


噴火のあと火口は熱泥で埋め尽くされるが、別の大穴に流入したため結果的に巨大な火道のみが残された。彼は火道ができる過程や、体躯が収まる巨大な洞穴が形成された事をとても喜び、住処にすると高らかに宣言した。その記憶は早々忘れられるものではない。洞穴は暗く、陽の光も届かない、そんな場所だというのに。それでも岩の隙間から生えてきた若い植物を爪の先でつつき、話しかけている喜色に満ちた横顔を見れば、連れて帰ることは憚られた。


彼が余りに熱心にこのうねりがどうとか峻険に対して熱心に見解を述べるものだから、神様はよかれと思って星の造形を変えたことがあった。彼が好むように。しかし彼は変化した大地を見て、表情を曇らせてしまった。余りの落差に神様は間違いを悟る。元に戻すと咄嗟に口をついたが、彼はパッと顔を上げて尻尾をうねらせたのだからたまらない。元の姿を仔細に覚えていますと、落ち込んだ顔はどこへやら、細かく指導してくる彼の横で微調整し、膨大な時間を消費させられたことを覚えている。それは初めて味わった失敗だったが、思えば楽しいひと時だった。


それから何度か火口――彼の住まいを訪ねた。既に最後の訪問から数百年経っている。いつでも逢えるという気持ちが、かえって再会を遠ざけていたのかも知れない。


逢いたくなったのは神様にも御しえない感情ゆえだった。彼の顔も音も、覚えている。逢わずとも事足りる。けれど逢いに来た。


あれは今頃連なった地層に目を輝かせているかも知れない。樹木の種類を数えているかも知れない。また新しい種が増えたと、細かいことに大袈裟に喜ぶ姿が浮かぶ。同時にあの独特な感性から、自身の想像など容易く飛び越えられてしまう予感もしていた。


火口の底面に到着すると、何万年前と同じ光景が広がっていることに懐かしさを覚える。火道は筒状だったが、底面は円状の空洞になっていて、さらに四方に洞穴が伸びている。

確かこの方向だったかと一方に鼻を向けると、「彼」と「他の何か」の匂いを捉えた。前者よりも後者の匂いが強い。


しばらく洞穴を進むと、更に明るい空洞につきあたった。見上げると、飛び込んできた光に思わず内瞼を閉じる。円状に切り取られた空に太陽が浮かんでいた。

以前はこんな穴など存在しなかった。岩肌を見ると崩落したような形跡がある、新しくできた空洞であることが窺えた。青空の奥に見える星の並びから火口からどの程度離れたか目測する。


ここに目当ての彼はいなかった。けれど匂いは強くなっていた。


神様は崖の縁に足を掛け、底面の一部に開いた縦穴を覗き込んだ。真下に白い光が見えた。


―――神様の瞳から涙がこぼれた。






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