430 肉料理:レーヴェ・フロムダール(24)
見つめ合い、笑い合う、あの和やかな一室が霞みの中に融けていく。浜辺に立つリーリートは静かに眺めていた。美しい記憶をつめた手箱が海に飲まれて跡絶えるまで。残るのは潮騒と、問いかけてくるような風だけだ。
あれほどの素敵な時の過ごし方はなかった。豪華な食卓も金糸銀糸の紋章飾りも緋色の毛氈も敷かれていない部屋にもかかわらず、幸福の実体であったと思い知る。体いっぱいに若い迷妄を詰め込んだ子供だった。惨めに前を向こうとする愚かしく迷走した子供だった。それを彼らは確かに生かしてくれていたのだ。
なのに、異常な終わり方を選んだ。選んだのは私だ。断絶のあとは何もかも虚しく映る。彼らは元気でいるだろうか? 悲しみから立ち上がり、己を卑下することなく、それぞれの解釈を示して生きていてほしい。そう願っている。
空を開き、風を越えて示された幼く微笑ましい記憶は、あかの他人の一生のようだった。立ち振る舞いも歪な横顔を読み尽くしても劣っているところばかり目についた。
今はあれほど好んでいた婦長やバートリも、二人の間で忙しなく表情を変える自分も、どう努めてみても空しいものに見えた。
輝かしい物を見つめても、心を震わせた瞬間の気持ちまでは取っておくことができないように、私は私の記憶を受け入れることができない。何も知らず、余計なことに心を消費し、本当に大事にすべきものを守れなかった私を、愛する事ができない。最早私自身の気持ちを宥めるための絵巻となった記憶たちは、その繁華な分だけ惨めにさせた―――こんなにも遠くへ来てしまったことだけが事実だった。
自分自身を忌避することは、成長し達観したと言い換えることもできるのかも知れない。だがそれは私以外の、実直に、明るく、天寿を生きる人にだけ当て嵌まるものだ。
その点、私は人ではなく蜂だった。永久に輪廻する魂は蜂の巣の構造に似ている。隙間なく並べられた小室には蜜蝋のような鮮やかな黄色の理力が塗りこめられている。私は決して消滅することができない代わりに、小室に魂を切り分けて、解き放つことができた。その術を知ったのは心の底からもう終わらせて欲しいと嘆願した雨の日のことだ。数千年前の残酷なできごと――――
(…………)
かつて圧倒的な悲劇を乗り越えることができず崩壊を願った。天命が何故私を選んだのか、何故私は生まれ続けなければならないのかわからず、ただ私にわかるのは、真っ新な魂として生まれ直したという事実だ。
私が生きることを拒絶したゆえか、命の原点である赤子として生まれ直すことができたのは、いっそ神のご厚情だったのかも知れない。
命も自分も、ともに軽蔑していた私はもはや自傷行為といえる無関心にあり、生きる気力も情感もなかったが、赤子を引き取ったロライン大主教は「生涯苦労とは無縁に育てる」と、父母もわからぬ捨て子にそう言い切った。それは彼の人格が示した最大級の心意気であった。
ロライン家に引き取られた私は、運命から逃れることに成功し、多くの愛を与えられた。領地に隔離されたことは潮溜りの中で周遊し続ける魚のようではあったが、種族的特徴もなく莫大な理力を持ち得た子供の正体を早々に見抜いていた父は、私を運命から解き放ち普通の子供として扱った。初めに言ったとおり苦労とは無縁に育てようとしてくれていたのだ。それがどれほど難しいことか。私は罪深き人間の子ではなく、痛みも苦しみも知らず種族差別も知らず、山と湖が囲む領地で静かに一生を終えるはずだった。
そしてもう一人、苦しみから生じた渇望は、異性として形を成して、世を自由に彷徨っていた。彼は長い旅路の果てにシルヴェーヌ・プラガオとして自らを規定するまでに至った。彼は自身を見つけ、それでもなお私の為に生きようとしてくれた。私ができなかった代わりにいつだって自由であろうとした。そして一人の男性を身の内に抱いた。
彼らの存在が私を生かしていた。こんな風に物にとらわれずに生きることができるのかと安堵し、美しく描かれる世界を愛でることができた。私は誰にも殺されることはなく、自然や人に魅されて、時に悲しみ、途方に暮れ、陰鬱さを感じたり、迂闊さを呪ったりしていた。生きていたのだ。
葉は茂り、色づき、落ちて、季節が巡る。それほど簡単な事をどうして見逃していられたのだろう。二人が与えてくれる眺望は寝息を立てる小室を彩り、私の目鼻や耳朶となって揺り籠をゆらした。喜びも悲しみも共有すれば、ひび割れた心が潤い、修復されていく。そうなのだ。生きようという希望を、明日への期待を、私は再び積み上げ始めていた。崩壊を味わい、声を上げて泣くほどの欠落を知っても、また希望を見いだそうとしていた。
困難を乗り越えさせてくれたもの、それは愛だ。
――私は、その愛を、
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