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42 白と休止と、

「装填されているもので最後です」


自分の声が語り掛けてきた。その後に聴こえる轟音に身構える。アルルノフ・ベルはそれが夢であると認識しながら目を覚ました。


静まり返った研究室に主の姿はなかった。時計の針が刻む音だけが響き、しばらく茫然としてから、とにかく動こうと長椅子から足を下ろす。いつの間に眠ったのだろうか記憶になかった。照明は煌々と過剰なまでに朝を照らし、床には昨日の続きが散乱していた。今日の業務は片付けから始めなくてはならない。


アルルノフは世界、時間や、業務のことを置いて、昨夜の出来事に思いを馳せた。床に散らばる理力弾の空き箱、大樹に括りつけたままの強化縄、シャルルさんが使い捨てた壊れた理力銃、その残骸。身も竦むほどの深い孔の中で命を賭けた男と、土くれの中で命懸けで他者を救っていた女―――――アルルノフの心臓は通常よりも速くなっていたが、「…クゥン」という言語化し難い鳴き音が聴こえ、期外収縮を起こしたあと通常のゆっくりとした脈動に戻った。


音がした方をみると、床にぴたりと体をつけた白狼がいた。前肢に顎を乗せているが耳は小刻みに動いており眠ってはいない。


「どうやら問題は解決したようですね……」


声に反応した白狼が頭を起こし、アルルノフを見ながら薄く目を細めた。鳴くことも吠えることもせず、その仕草は高潔で「当然だ」と言っているように見えた。

もしも未解決であれば、白狼によって叩き起こされていたに違いなく。彼は緩慢な動きで再び姿勢を戻した。少なくとも自分の手助けはもう必要ないのだろう。お二人はいつお戻りになるだろう、少し考え、また意識が不鮮明になった。疲れているのかも知れない。体内に巡る理力は確かに少し損なわれている感覚があった。


庭に続く硝子戸を開け、広大な緑の芝生を眺める。朝の鋭い空気が頬から首筋に抜け、服の中に入りこむ。遥か向こうに佇む山には雲がかかっていて、山頂を望むことはできなかったが、あの山に雲がかかる日は大抵晴れる。芝生に雫が残る。雨雲は夜と共に消えたのだろう。


芝生の真ん中に野鳥が数匹下りてきた。アルルノフはその時どうしてだか餌をやりたくなった。板場の保存庫に何か入っているだろうかと室内を横切る、途中白狼が寝ていた場所を見ると彼の姿はなかった。アルルノフの足は止まっていた。


また静寂が取り巻いた。それは精々不変のもので、アルルノフを孤絶させるものではない。けれど「リーズさん…」気づけば呟いていた。


「………リーズさ、――――わッ!」


生い茂った若葉の向こうから白狼が飛び掛かってきた。実体のない彼を避ける必要はないが、咄嗟に屈む。すると彼は口を開け、長い舌を垂らしながらアルルノフの周りを回った。

アルルノフは愁眉を開くと板場へと歩き出した。眉根を寄せていた意味はわからなかったが、白狼の姿を見るとその疑問は氷解していった。「リーズさんも何か食べますか」と語り掛けると、短い唸り声が返ってきた。きっと「無用だ」と言ったのだろうと思った。







ホープリー山脈の麓に広がる森、背の高い木々の間から煙が立ち上っていた。


アクエレイルの城壁から離れた森の中にひっそりと佇む数件の家屋。赤い煉瓦造りの製鉄所のそばには川が流れ、その水を利用した水車が飛沫を上げながら回転をしている。

早朝、辺りには鳥のさえずりと、清流のせせらぎのみがあった。製鉄所はまだ眠りの中にあり、雄大な自然に溶け込み、黙していた。

炉や鍛造所などの施設の他に、職人が住む宿舎、納屋、小屋があり、それらから少し離れた場所に墓地があった。石塊の墓標の前にひとりの女が立っている。


エレナは墓標をじっと見つめていたが、すぐに手持ち無沙汰になって、煙草を取り出した。こういう時、他人は死者に語り掛けるらしいが、エレナは用事がなければ決して口をきかないような女だったから言葉を掛けようとは思わなかった。それでも毎朝の墓参りだけは欠かさず、煙草一本消費するだけの時間そこに立っていた。


羽織なり着て来れば良かったか。今朝は薄ら寒く、肺が引き締まるほど空気が冷たい。

――――歳が歳だからね、

墓の下からそんな声が聴こえた気がした。古い記憶が呼び出されるが、若い笑顔ばかり浮かんだ。こっちはすっかり老けてしまったと自嘲しながら、返事の代わりに灰を弾く。


「ばあちゃん! ばーーーちゃーーん!!」


孫の声だ。エレナが宿舎の方を振り返ると、大人用の保護眼鏡と皮手袋を腰帯にぶらさげた孫が走ってくる。途中なまめかしく曲がりくねった木の幹に足を取られ、一回転していた。元より傷だらけだが、また膝に新しい擦り傷をこさえたようだ。孫はなおも全速力で駆けてくるが亡者を叩き起こす不敬は避ける心づもりはあるらしい。墓地の手前で急停止するとエレナを必死に手招きして、握り拳を腕の前にかかげ、「はやく!」その場で走り始めた。「ねえってば!」どうやら相当な面倒事らしい。エレナは煙草を名残惜し気に吸い込む。


「……なんだい……大声を出すんじゃないよ」

「だって、だって!」

「だって?」

睨むと、小動物のように竦み上がった。「だって」なんざ使うんじゃないと何度も教えたがいまだに身についていない。

「だっ! あぅ! だっ……ちが! ん゛ッ! と、とにかく! とにかくすぐ来てよ! 廊下に血が! 怪我してるみたいなんだよ!」


宿舎の廊下に何かを引きずったような跡がついている。そのほとんどが泥だったが、中に血痕が混じっているのを見つけてしまった。その痕は二階の角部屋に続いているから、お願いだから確かめて欲しいと。宿舎の扉という扉を叩いたけど、みんな全然起きないんだもん! と言う。

健気なことだ。そりゃあこんな時間に起きるやつなんていない。昨日の深酒が残っているやつばかりだろう。


エレナは耳の裏を掻きながら、仕方なく孫の背中に続く。「走って!」と孫は腕をぐるぐると回して急かしてくるが、二階の角部屋というだけで余計なお世話のような気がして、煙草で荒らした口からもう一度溜息を吐いた。






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