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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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407 肉料理:レーヴェ・フロムダール(1)


私はゾアルであると彼女が告げた。

まるで聖典の御言葉を授ける司祭のように、ひとの身の上にあるには些か重い神託が下った。


ギンケイ、シュバ、ウリアル、アクリス、パーシアス、クサビ、ほかの様々な種族、それらの総称たる"人"であるのだと、日常の中で丁寧に明言されることは殆どない。何故なら種族に属して生まれた瞬間から、それらは生まれついた自らの不変の形であって、自己を形成する定義を他人に聞かされる必要はなく本能で理解しているからだ。また、自分が"人"であるか等の疑問は、己の出生意義を問うのと同じくらい無意味なことだ。


お前はパーシアスなのだから気高く不遜であれ、だとか、ギンケイなのだから顔を寄せ肩を抱いてくるものがあれば先ずはたき倒せ、というような種族の掟は親類から聞かされる内内の伝統であり、他人から強制されれば規律と変じて、妙なしこりとなって不愉快になるだろう。種族のあれこれは他者には触れる気が失せるもので、とうてい踏み込んではならない場所であるからだ。


では、何故ゾアルだけはそうではないのか。

ゾアルであることを指摘され、罪を裁かれているような気にならなければならないのは何故か。

人権や尊厳が守られていないと感じる。世の中には、「お前は奴隷だ、もしくはそれ以下の塵だ」と、死の宣告を受けるものがいる。綺麗な大通りの裏、商店の奥や地下、輝かしい場所を裏返せば、必ずそこに生も死も他者に握られている者が存在する。石を引っ繰り返すと張りついている虫と一緒なのだ。


レーヴェは一匹の虫だ。フロムダール家によって安全と衣食住を保証してもらう代わりに、自分を差し出すことで身を隠せる岩を得ている。親子のように振る舞っても、真に血がつながっているわけでもない。律儀を通して息子のふりをしているだけで、いつバティストンに「貸しだ」と取り上げられるやも知れないのだ。もしくはレニエに「もういらない」と言われてもおかしくはないのだ。バティストンやシャルルは、きっとそんな心配をしなくていいと言うだろう。家族だと。


フロムダールの人々や、従者、商会の従業員も、誰一人レーヴェをゾアルだと認識している者はいなかった。

黒い尾も鱗もない子供は、ただ商会の主の息子として、何の関わりもない人たちに何らかの権力の衣を被ったように見せていた。実際ゾアルとわかった時、彼らはレーヴェを痛めつけて殺すだろう。ゾアルではないから、バティストンの息子だから付き合いがあるだけで、納得付くで心底付き合おうとする者はいないのだ。


数日前のことだ。晩餐会用の豪奢な衣服を仕立てた店で、一打ち、二打ちと鞭を浴びるような話を聞いた。あまりの恐ろしさに今でさえ血の気が引く。

とある罪人の最期について楽しそうに語っていた従業員たちは、むごい事柄を明るく話していた。


『この人ったら刑場までついて行って、罪人の顔を描くのですよ。けったいな趣味でしょう?』

『ち、違います。いえ、あの私は死にざまを描くくらいしか……彼らの生きた証を残してやりたくて』

『でも死に顔でしょう? 死者を悼む形なのでしょうかねこれも』

『ゾアルは火葬されて墓もありませんから。本当にそこにいたことを誰も証明できないのです。それは少し可哀想ではありませんか』

『ならばお名前をきいて墓石に名を刻んでやればいいのではなくて? 身寄りのない者たちの合同墓地があるでしょう』

『私達の最期にいく場所? いやよ、ゾアルと同じ墓に入るなんて』

『僕も……病気がうつったらこわいな』

『死んだら同じじゃない。そう思うなら刑場まで行くのはよしなさいよ。私だって袋がなくっちゃ怖いもの。ねぇ、レーヴェ様いかがですか? うまく描けているでしょうか』


差し出された画布には恐怖に歪んだ顔が描写されている。

ありきたりな評価を聞きたがって待っている彼らは純粋無垢を装った顔をしていた。描いた者は他者を追悼している気でいる。ましてやレーヴェの心を殺すためにそれを差し出したのではないのだ。

だが、だが、画布に描写された男性はもうこの世にはいないのだ。罪もなく、ただゾアルというだけで殺された男は怒りや恨み、相手を呪い殺してやろうという怨念を浮かべてすらいなかった。強烈な悲しみがわきあがるのは、彼が何をしたのかと悔やむレーヴェの方だった。生きていただけのことで、ゾアルとして生まれたというだけのことで、病の源と怖れられ、悪魔の呼び口であると罵られ、反論する口を封じられ、唾棄され、勝手な都合で殺されたのだ。


人々は撲殺を祝祭として楽しんだ。男を詰めた麻袋に石を投げ、棒で打ち、退魔の儀式に仕立て上げていた。袋の中に押し込められた者は同じ人だ。彼にも家があり、家族があり、仕事をして、あすのことを案じながら、赤子の前で安堵の顔を見せただろう。そうした想像もせず、身を低くして唾を吐き、祭りを楽しもうと爪先立ちをして行為を覗こうと騒ぐ。


―――"貴方はゾアルなのよ"






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