402 肉料理:■■■■・■■■■■■(15)
"干渉と反発"、"無関心と罪悪"、金色の器に名称がついている。中心に立つ軸から均等に吊るされた器に乗せられて、一方に傾き過ぎれば軸は崩れるので、もう一方にも重しを置いて調整をする必要がある。器に乗るのは人そのものだ。翻弄されること自体が人の役割なのかも知れない。一瞬無意味な閃きがよぎって闇に消えた。
「貴方は……」と、微かな言葉の疾走が耳をくすぐる。
「……とても強いのね。私よりももっとしっかり立っているわ」
「? わかりませんが……考えないでって言ったばかりですよ」
「うん……うん、もう少しだけこのままでいさせて……」
「いくらでも…」
もっときちんとした言葉を告げて、彼女の周りにひしめく悲しみを晴らしてあげたかった。だけど、とくとく、鼓動が頬に当たってレーヴェは思考を処理することをやめた。
今できることといえば思考以外に術がないというのに、黙々と彼女に抱かれたままでいることを選んだ。背中に押し当てられた腕や、頭部をくすぐる熱い吐息が、彼女の中にさかんに荒ぶる情感が押し殺されていると教えていた。
今するべきなのは、きつい忍耐を強いられているこの美しい人を支えてあげることだった。それは言葉でも可能だが、熱を分け与えることでも叶えられた。その価値が自分にあるのか、そうした自嘲的な考えは不必要だと思う。腕の中に招いたのは彼女なのだ。必要とされている――誰かが自分を必要だと感じてくれている。レーヴェは心の底から喜びを感じた。あれほど幼さや拙さを感じていた心が光を糧に生きようと立ち上がる。
(この人は誰かを抱きしめてばかりで、抱き締められたことがないんだ……)
きつく食い込む腕と柔からな熱が、胸いっぱいの助けての形だと思った。
男ならば自分の事は二の次、大事な人の為に生きるものだと言い切った父の顔を思い出した。懐かしい記憶。少しずつ薄れていっている記憶――朗らかな笑顔に思考を覆っていた靄が剥がれていく。
レーヴェは彼女を抱きしめる人になると決意した。誰かを抱きしめる時は、いつだってもっと強く自分を抱きしめて欲しい時なのだ。
彼女を体の一部にしてしまうように強く強く抱きしめ返した。いつしか体幹は力強く、しっかりと地に腰かけ、女性の体を自分の物にしていた。けろりと忘れていた十五の体の感覚が戻ってきて、細い女性の体から花の香りを奪う。
(……………"私"はどうしてここに……廊下で倒れていたはず……背中がひどく痛んで……ここは、……危ない場所ではなさそうだが……)
腕の中で庇護されていたレーヴェはそれを認めず、強い意思によって代わりに彼女の頭を抱いた。彼女を庇護したい。そう強く念じた行動が形になっている。
十五のレーヴェは女を抱いたことはない。また"女"と呼称することすら蔑称だと忌避する潔癖をもっていた。その青年が女性を胸にだきとめ、背中を撫で返し、泰然としている。明確に開けてきた距離すら飛び越えて目の前の女性を守るための存在であろうとしている。
レーヴェは素早く周囲を見渡した。一列に並んだ木々、海辺、砂浜、波の音は雨にけぶって獣の声のように呻っている。ヴァンダールのような石で固められた港ではなく、自然の浜辺をみることは久方ぶりのことだ。
(こんな場所、ヴァンダールには……)
浜辺には誰もいない。雨雲からやや外れて目線を彷徨わせると、砂の上に何かが斜めに顔を出していることに気づく。錆びた黒鉄は人工的な色を強く主張したまま半分砂に埋もれている。レーヴェは一瞬、それがなんであるか様々な小物を思い浮かべた。漁の道具、異国から流れ着いたもの。その形を知っている。思い至った時、開いた口が塞がらなかった。
全身は痙攣して、硬直した。衝撃はレーヴェの生涯を貫いていた。そのときこそ、ようやくこの海辺が自分に用意された場所なのだと悟った。埋もれていたのは手提げの角灯だった。親友に声をかけられて、確か何か忘れ物をしたから戻ると―――木陰の向こうに目を細めれば、村に続く細い道がある――それは生家に続く道だった。まだそこに親友が待っているような気がした。
「っ!」
立ち上がりかけた脚は砂を擦っただけで、やむをえなく元に戻った。彼女の腕が背中に回ったまま、まるで根が生えたかのように絡みつきレーヴェを地に留めていた。そうされることに嫌悪感はない。彼女は何も知らないのだから、レーヴェは話してやらねばと唇を湿らせる。ここが自分の生まれた村のそばで、貝を拾っていた場所なのです。ここで麻袋に詰められて舟に乗せられ、そこから気づいたら知らない場所にいたのです―――そこまで考えて、そんなろくでもない話を彼女に聞かせたくない気持ちが喉を塞いだ。その間彼女は黙っていた。何故何も話さないのか不安に思う。けれど感情が先に立って聞きづらかった。




