400 肉料理:■■■■・■■■■■■(13)
『……私が一番嫌うのは、自己に忠実に生きない者をみることだ。言葉は私の友だが、君にとっては舌の扱いさえ大変だろう。私への憚りは捨てて、感情の赴くままに任せればいい。残ったものが自分の軸だということに気づくだろう』
『……僕は貴方にはなれません。貴方の経験をなぞることもできません』
「まわりくどいなぁ……」レーヴェは衣服から砂をはたきながら立ち上がる。
人影には興味がなくなり左右を見渡してみる。風に揺れる木々が煌めいて見えて、光沢のある葉に急に触れたくなった。厚みがありそうで、表面はつるつるとしているのだと何故か知っていた。指先が感触を想像して、先に赤く色づく。触れることが真っ当な願いだと結論づけて向かった。
けれど数歩進むだけで、膝に力が入らず、ぐもぐもと頽れてしまった。調子はずれな体だ。(もしくは頭かも)浜辺が雲の塊でできていることは疑いようがないのに、そんなことすっかり忘れていたのだ。
なんとか木によりかかって息を整えて、腕を高く上げた。ほどけかかった帯が絡みついている。合図のように引っ張られて、ずっと気に掛かっていたのだ。まめまめしく丁寧にほどくと、端と端をもって広げる。繊維の飛び出した先端がふたまたに分かれて首を折っている。
「へびみたいね」とそばで囁く声があった。
レーヴェは穏やかに頷く。
すると、帯がぐねぐねと揺れて、まだらの蛇に変わった。黒い鱗がきめ細かに並ぶ肌に真っ赤なまだら模様。まるで血の花が咲いているようで綺麗だった。手に乗ってちろちろと舌を振っている。頭を撫でようと空いた手を翳すと、親指に巻きついてきて隣から「怖くないのね」とまた声がした。
「だってとても可愛い、か…ら…………う、ぁ゛」
レーヴェの口は壊れた。つばを飲み込んで、八度瞬きをして、顎を引いて、上目遣いになって、舌の居所がわからなくなって、ふわふわしたまま頑張って告げた。
「お、お姉さんはこの世で一番綺麗な人ですよ、きっと…………」
蛇と目配せしたあと美しい人は笑った。胸が高鳴ってめちゃめちゃになった。
「そんな事臆面もなく口にするなんて、ふふ」
「変でしたか…?」
「いいえ、とっても嬉しいわ。随分と見惚れていたようだけど」
「……はい……あの、えっと満喫しています」
"貴方は誰よりも綺麗だよ"――父様が母様に言っていた言葉がするりと飛び出たということは気恥ずかしくて言えなかった。称賛の言葉が自分からでた純粋な言葉ではないような気がして後ろめたくなったのだ。けれど、綺麗、美しい、素敵、それ以外になんと言い表すことができるのかわからなかった。陽が昇って沈んでいくのが当たり前であるように、目の前の人のどこも欠けていない完璧な造形はしごく当然なもののようにそこに存在していた。この人はもしかしたら天使だ。うん、そう、そんな事恥ずかしげもなく言えるか! さっぱり役に立たない! レーヴェは自分の使えない頭を空想の中で存分に小突き回した。
お姉さんは体を捻ってレーヴェの頬に顔を寄せた。
「満喫しているのは、蛇? それとも私?」
さっと視線を戻すと眼前に蛇の顔があってあられもない声をあげてしまった。隣からは木漏れ日のような笑みが揺れる。
「ごめんなさい、顔を真っ赤にしてくれるのが可愛くてかってしまったわ。ちょっとお話してもいいかしら」
貴方が興味を持ってくれるなら何でも嬉しいと、思うものの言えず首を縦にたくさん振った。
「蛇にはくわしいの?」
「いいえ! いいえ、全く。たまに外に出ると見かけるくらいです。この子は、このあたりの子でしょうか。わかりますか?」
「えぇ。向こうに村があるって言っていたわ。そこでお母様とお父様と二人で暮らしていると」
「良かった。帰る家があるんですね」
『無害の、大人しい、子供で、いられたら良かった』
小さな子供の声がして、二つの影に視線を戻した。柔らかく短い舌からは、悲しみが増幅された声がこぼれ、最後には砂浜にないに等しく落ちていた。
『僕の命はまだ許されています……まだ、です。不思議と、自分で何故こうしたことを言わなければならないのか、本当は怖くて仕方がないのです』
命に誰の許しが必要だというのだろう。レーヴェは耳の奥で、ごりっ、ごりっ、骨が砕かれる慈悲の無い音を聴いていた。この音が何を意味するかはわからないでいる。
視線をあげると、美しい人と目が合う。影を見ていた間お姉さんはじっとレーヴェを見つめていたようだ。いきなり首の裏に手を差し入れると、あっと声をあげるレーヴェを自分の胸に招いた。薄衣を巻きつけただけの胸元に頭を傾けることになり、一旦柔い感触に集中するもすぐに顔を浮かせた。けれど背中に回された腕に押さえられて、優しく命じられる。「抱きしめさせて……おねがい」
少し体を斜めにして体重をかけないように地面に手をついた。そうしなければ背中が重くて、倒れてしまいそうだった。
「あれ…蛇が……」




