394 肉料理:■■■■・■■■■■■(7)
シャルルが腕を突き出して止めるも、従者達はレーヴェを無理やりに奪おうと取り囲んだ。運命に輪となって囲まれて、まず視野の端からずんぐりした体躯の男が飛び出してくる。必死に腕を振り払っても前方の二人を追い返すのがやっとだった。もしも抜剣されていたら当然八つ裂きにされるだろう。シャルルは地を蹴りながらすぐさまバティストンを背に庇った。助勢してくれと肩越しに何度も振り返るがバティストンはレーヴェを見下ろしたまま応える気配は全くない。
獣のように威嚇してみせるシャルルに周囲は強く出られなかった。剣を用いれば獣の群れに放り投げられた餌として扱うことも躊躇わないが、彼らは敵対も、ましてや武装もしていない。あくまで負傷した子供のために互いに押し合っているだけなのだ。
一部の従者は近場の扉に駆け込み、中を検めてから戻ってくる。「無人です。早くこちらへ!」大主教への声掛けはシャルルの耳にも入った。
シャルルにはその意図がまったくわからなかった。綺麗な寝台や清潔な布でも無ければ治療ができないというのだろうか。地面に腹ばいになった者に治癒をしたくないというのだろうか。大主教は命令を取り消すことなく、腕の中の少女に声をかけている。髪を耳にかける優しい仕草は歳の離れた愛人を愛でるようで吐き気がする。彼が一度命じたならば従者達は何としてもレーヴェらを室内まで連れていかねばならない。シャルルとてレーヴェを助けたい思いがある。だが今にも消えそうな命を前にしながら段取りや体裁を整える意味がわからないのだ。
「う…ぁっ…!」
全員の目がバティストンに注がれた。情けない声をあげた大男に。
バティストンの目は窪み、口角は下がって歯茎が見えている。真下を凝視し、異常にこわがる気配に案ずるよりもかえって沈黙が訪れた。周囲の視線が集まる中、バティストンはよろめくとその逞しい腕に抱いたレーヴェを、床に、躊躇いもなく、放り投げた。
「は?」
シャルルの呆然とした声と、どさり、――意識のないレーヴェが崩れ落ちた音は同時に響いた。腕を交差し、腰をしたたか叩きつけて倒れたレーヴェは墓穴に投げ込まれた死体のように見える。
突然のことに誰も言葉を発しない。気でも狂ったかと四方から鋭い目を向けられるバティストンは歯をがちがちと合わせて自分の手を見つめた。しわの襞の中にまで染み込んだ血に怖れ慄いている。たかが血だ。暴行と罵倒もお手の物だった大男が後ずさるには理由があるはずだ。シャルルの脳裏に黒々とした小山が思い出された。
レーヴェは目覚めると直ぐに身をよじった。交差した腕を直すと、それを鎌のように振り被って床を叩く。手を滑らせながら少しずつ這って行く。どこへ、というより、ただ生きようとしていた。
「レーヴェ! 動くな…! これ以上血を流したら…」
シャルルは上着を脱いでレーヴェの背中に被せた。それごと腰に手を回して抱え上げようとしたが、それより先に背中が立ち上がって相当の強さで弾き返された。驚いてレーヴェを見返すも、寝そべったまま足をべたりと床につけている。「悪魔だ…」と誰かが言った。腰だけが膨れ上がって、蠢いていたからだ。
もう一度駆け寄ろうとしたシャルルは首を引かれて数歩後ろに勢いよく倒れ込んだ。引っ繰り返った視線をまわすとバティストンが首裏を掴んだまま「下がれ!」と叫んでいる。勢いよく曲がった首を擦りながら、シャルルは体を捻り起き上がろうとした。今度は頭を押えつけられ、意に沿わぬ体勢に罵倒を返しそうになる。が、シャルルの顔があった場所を素早く横切って一閃するものがあった。頭髪が浮き上がり、血臭をかき乱した。黒い生き物がレーヴェの背中で激しくうねっている。双頭の蛇のように思われたそれは――
「……ゾアルの……尻尾……」
顔だけ起こしたシャルルが見たのは、レーヴェの背中を引き裂いて飛び出た尻尾が縦横無尽にうねっている姿だった。腰から伸びる蛇の尻尾は鞭のようにしなり、ぎしぎしと音を立てている。身にまとう血を存分にまき散らしてから止まったが、首をもたげて周囲を見渡し始めた。蛇が獲物を見定めているような動きにみえたのは、先端がふたまたに分かれていたからか。血でぐっしょりと濡れた尻尾が自分の方を向くと誰しも後ずさった。
「汚らわしい……」誰かが溢した声を皮切りに罵倒が始まる。
「ゾアルだ……呪われるぞ」
「何故こんなところに……紛れ込んだのか?」
「……違う。これは"献上品"だったはずだろう? だからロライン大主教がご配慮くださっている。だが種族を隠していたなら、それは隠蔽というのではないか?」




