393 肉料理:■■■■・■■■■■■(6)
ロラインが直ぐに指示を出すと一団は陣形を変えてバティストンを取り囲んだ。バティストンは息子の急変に動揺し、名前を叫び続けている。見様によっては怒鳴りつけているが、その叫びは無力な男の生きろという言葉だ。
白い衣をさばいて前にでてきた従者がレーヴェに手を翳す。詠唱のあと理力光がほとばしった。理不尽な目に合った青年は青白くなったり発熱したりを繰り返し、きつく目を閉じている。光が彼の体に吸いこまれていくと背を弓なりに曲げて、うわ言を口にした。
「に、…は、ぁ、……ッ、に、げて」
行間が読み取れず、バティストンは愚直に命令した。
「もっとでかい声で喋れ!」
不幸と施しを絵に描いたような美しい光景をかき消す怒鳴り声に、シャルルはたまらず唾を飛ばすバティストンの前に手を差し挟んだ。ただ心配しているだけなのは理解しているが、額にたえず皺を寄せて痛みに耐えているレーヴェが不憫だった。商会の勤め人たちが罵倒されて暴行を受けたとしても、まるで無かったかのように聞き流してきた自分がレーヴェの苦痛に唇を乾かしている。そのことはシャルルの心を陰鬱に染めたが今は思考を余所に放る。誤った行動とは到底思えなかった。
血泡を端に溜める口に耳を寄せて、レーヴェの腕を擦った。「私です。シャルルです。ここにいます」返事はない。肉体的な傷は術によってある程度戻るが、一度流出した血を戻すことはできない。レーヴェはよろよろと指先をあげたと思えば、突然痙攣し始めた。
「治療を! あちらの長椅子に下ろしてください」
「すまないが、許可できない」と後方から低い声がかかる。
「時間がありません!」と言って、シャルルはレーヴェの背中に手を差し入れた。出血箇所は手触りだけではようとして知れない。衣服の脇を掴んで圧迫すれば、理術が使えないなりにもまだ手の施しようもあるとシャルルはレーヴェの背中とバティストンの脚の間に頭を滑り込ませた。
が、――背中に黒い石の小山がごつごつと並んでいるのを見て、ぞっとしてシャルルの全身は固まった。
(これは、いったいなんだ)
また一つ、目端で山ができる。元から皮膚の中に折り畳んでしまわれていたものが、たちまちくびきを切られて動いていた。虫に張りつかれているのかと思ったがそうではない。背中にまっすぐに通る骨が露出しているのかと思うがそうでもない。血に濡れて黒々としたそれらは骨というには鋭く、歯列のように規則的に並び、単独で蠢いている。
シャルルは歯を食いしばりながら頭を引き抜いた。頭部からどっと汗がふきだして、むきだしの歯茎が乾いていく。大声で叫ばなかったのではない、上下をがちりと合わせた歯がこわばって一切動かすことができなかった。
バティストンはレーヴェを揺すぶり、何とかして声を聴こうとしている。
「レーヴェ! なんだ、なにが言いてえんだ、なァ! 目あけてくれ!」
「全員、走れ。すぐそこの部屋まででいい。続きは室内でやるんだ」
ロラインはそればかり繰り返した。従者達は大主教の言葉通りにしようとするもバティストンの足は動かない。血を吐いてレーヴェが目を覚ました。
「にげて……今すぐに、とおくに……はやく…ッ! うぅ……」
「もう終わった。終わったんだよレーヴェ。もう夜が明ける。家に帰るんだ。な? な、そうだろう。全部悪い夢だったんだ」
「ゆめ……?」
「そうだ。夢だったんだよ」
「あぁ……」
穏やかに笑う顔に脂汗で湿っている。
シャルルにとってレーヴェはまだ幼く、手がかかる子供だ。仕事を教えてやらねば到底使い物にならず、後をついてきては一言目にはすごいすごいと仕事ぶりを褒めてくる。いいから手を動かせというと、間違いながらも健気に働く。育ちの良すぎる子供を前にする日々は、自分のみすぼらしかった幼少期が思い出されて苦しくなることばかりだったが、しこりは既に跡形もなく溶けている。いまや彼の命が風前の灯火であると思うと、ぶらりと垂れ下がった手をシャルルはいつの間にかしっかりと握り返していた。レーヴェはかすかに睫毛を震わせると、そっと手から腕、肩と目線をあげていく。シャルルと目が合うと、はにゃりと笑うのだ。起き抜けにかろうじて届く陽射しの中に咲く花を見つけた。そんな笑顔なのだ。
(ばかが)と、心の中で言った。けれど同時に大主教に立ち向かうレーヴェを助けなかったことを悔いる気持ちも溶けていったような気がした。つないだ手から一等熱いものが伝わる。滴る血よりも濃いものが流れている。
すぐにバティストンの太い腕を叩き、長椅子まで強引に引っ張っていく。最早猶予はない。だが帯剣している従者らが柄に手をあてながら立ち塞がった。
「治療をしないといけないんです! 見ればわかるでしょう!? どうして邪魔ができるのですか!」
「ここでは駄目だと言っているのがわからんのか!」
「どこだろうと変わりません!」
「問答はいい。その子を連れて来い」
「何をしますかッ!」




